2009年4月5日

 「心の土壌改良」 マルコによる福音書5:13〜16

 今週は主の受難と十字架、そして復活を思い起こす一週間です。クリスチャンは、イエス様を神の子と信じています。しかし、それはイエス様が超人で、本当は力を持ちながら隠してこの世に生きた方と信じることではありません。使徒パウロが「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。」(フィリピ2:6)とあるように、主イエスは神の子でありながら、私たちとまったく同じ人間として弱さに生き、父なる神に従順なものとなり、その通りとされた方と信じることです。

 「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」 (ヨハネ12:24) 種まきのたとえでは、種が落ちる土地の良し悪しがその成長を決めることを教えます。その条件とは、キリストが私たちの罪の重荷を負って死んでくださったことを信じる信仰にあるということです。かたくなな心、荒れた土地で種は成長することができず枯れてしまいます。私たちの罪のために死んでくださった主イエスを受け入れる信仰が良い土壌となります。 

 「キリストは、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられるのです。わたしたちもキリストに結ばれた者として弱い者ですが、しかし、あなたがたに対しては、神の力によってキリストと共に生きています。」(2コリント13:4) 教会は、神の魔法のような力によって成長するのではなく、互いの弱さを認め、キリストの愛と恵みに立つてさまざまな問題に向き合っていくことによって成長していきます。自分の必要を自分で満たす、肉の力では成長することはできません。神の愛と恵みによって互いに砕かれ、心が耕されていく時、教会は神の力によって成長し実を結ぶものとなります。「また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」(マルコ4:8) 私たちの第三のビジョン「地域とともに育ちあう畑となる」とはそのように改良された土壌の隠された恵みを一緒に体験していくことです。