2009年3月15日

 「与えられた力と愛と慎みの霊」 第二テモテ1:7

 「神が私たちに与えてくださったものは、力と愛と慎みの霊」である事を覚えたいと思います。なぜなら私たちはしばしば臆病に力なく生きてしまいます。また、愛に生きようと思いつつも人を裁き、愛がなく生きてしまいます。またある時は慎み深く生きたいと願うのですが、自分の傲慢さに気がつかないほどに高ぶって生きてしまうことさえあります。

 私たちは強い意志を持って良いクリスチャンとして生きようと思いますがなかなかうまくいきません。人からは良いクリスチャンに見られたとしても、心底良いクリスチャンになっていない事は自分自身が一番良く解っています。しかし、この御言葉は驚くべき事実を私たちに告げています。それは「神が私たちに与えてくださったものは」です。私たちが得ようとしてなかなか得られないものがすでに与えられていると聖書は語っています。ここで教えられることは、私たちは与えられている命に生かされる必要があるということです。私たちは与えられているものを再び得ようとするのではなく、素直に「私たちには出来ません。あなたの命に生かしてください。」と祈る必要があります。 生かされるとは不思議な事で、初めのうちは失敗もありますが、ごく自然にできることです。

 与えられた神の力とはギリシャ語でデュナマイと言いダイナマイトの語源になっています。その言葉は爆発的な力を表します。神の力は弱いものを強くし、人を死から命へと移し変えてしまいます。愛も、人の範囲の限られた狭い愛ではなく、無条件の、敵をも愛する神の愛です。また、慎みも、人のうわべだけの偽善ではなく、真実に聖い正直な霊です。

 私たちは神から与えられている力と愛と慎みに生かされ、また御霊に燃え続ける必要があります。6節に「神の賜物を再び燃え立たせてください」とあります。自分の感情や願望や欲望ではなく祈りと御言葉によって純粋に聖霊によって燃え続けるものでありたいと思います。