2009年3月1日

「苦難の時にも」 コリント人への手紙二 2:1〜7

 使徒パウロは二回目の伝道旅行の際コリントに滞在し、教会が誕生しました。しかし、その後教会では様々な問題が起こり、特に反対者たちの迫害は大きなものでした。再度コリントに向かう前に書かれたこの手紙は、困難の中にある教会の兄弟姉妹を諭し、励ますためのものでした。

 「苦難」には神の「慰め」が伴います。

 真の慰めは慈愛の神から出るもので、苦しむ者への神からの呼びかけです。

 また、キリストが苦しまれたことを味わうことにより、キリストの慰めが満ち溢れ、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができるのです。

 「苦難」には人の望みの途絶えたところに与えられる神の「希望」が伴います。死後の幸いへの希望ではなく、苦難の時に与えられる神の救いへの希望です。パウロは死ぬほどの苦難の中で、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りとすることを学びました。

 「苦難」の時にも揺るがない希望を持つために必要なことは、神の聖霊が「苦難」とともに「慰め」ぬしとしておられることを知ることです。ヨハネ福音書14章16節によれば、イエス様は「弁護者」、すなわち苦しみの時、傍らに共にいて支えてくださる聖霊を与えると約束をして下さいました。「この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。」

 混迷を深めていく時代の中にあって、キリスト・イエスにある福音を伝えていくために、キリスト者も教会も周りの人々と共に主の苦しみと慰めを共有していく必要があります。善きサマリア人のたとえに示される神の憐れみを実践する中に、キリストの苦しみを見出し、キリストにある慰めを体験して行くのです。「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。」(4:16)