2009年2月1日

 「約束に守られて」 ヨハネによる福音書14:15〜21

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」(ヨハネ14:1)ユダの裏切り、ペトロの離反を予告した後、イエス様が弟子たちに語られた言葉です。今から、十字架に向かわれる方が命令ともとれる約束を与えられるのです。

 イエス様の約束は、「永遠」に至るもので一時的なもの、その場しのぎのものでもありません。箴言に「神に逆らう者は力に望みをかけ、期待しても死ねばそれも失われる。」(11:7)とあります。約束してくださる方ご自身が「わたしは道であり、真理であり、命である。」と言われ、事実十字架に死に、復活されたのです。その約束の主体はイエス様にあり、イエス様を信じる人との信頼関係にあります。信仰生活は義務でも強制でもなく、約束を守って下さる方を信頼して生きる現実生活です。従って、礼拝も、捧げものも、奉仕も、イエス様と私の個人的な約束から始まり、教会生活も共同体としての教会とイエス様との約束によるのです。信仰告白こそイエス様を通して結ぶ神様との約束で、大いなる報いを伴うものです。

 約束の主体はイエス様です。だから、たとえ私たちが失敗しても大丈夫です。イエス様の約束に生きる人には弁護者として永遠に一緒にいてくださる聖霊が与えられています。神の聖霊は弱い私たちを助け、執り成してくださいます(ローマ8:26)。ヘブライ人への手紙では「金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身、『わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない』と言われました。だから、わたしたちは、はばからずに次のように言うことができます。『主はわたしの助け手。わたしは恐れない。人はわたしに何ができるだろう。』」(13:5)と大胆に告白しています。不況の嵐の中、この世が約束してくれることは、この世でしか効力はありません。しかし、イエス様の約束は人知を超えて、この世のものを恐れずに生きて行く力、生きている希望なのです。