2009年1月4日

「広い展望」 創世記15:1〜7

「なまった斧を研いでおけば力が要らない。知恵を備えておけば利益がある。」(コヘレトの言葉10:10)

 心を新たに新しい年を迎えた方、あるいはまた世界に広がった金融不安や不況、政治の混乱などがある中、少なからず影響を受け、困難な年を迎えた方々も多いと思います。先行きが見えない時代と言われますが、実は私たちは皆明日のことは分からないで生きている存在です。そのような中、年頭にあたり確認しておきたいことは、主イエスにあって私たちは神との平和にあり、希望が与えられているということです(ローマ5:1-5)。冒頭のコヘレトの言葉は、今年、さまざまな状況に直面するであろう私たちに知恵を与えてくれます。力まかせでは事の解決は図れないのではないでしょうか?歴史がそれを証明しています。本当の神を知り、神の前にへりくだって歩むとき、私たちにはいつも神が共にある平安があります。

 信仰にとって大切なことは、それが神のご計画とその約束によるということです。イスラエルの信仰の父であるアブラハムは、その行き先を知らず、主の召しにより故郷を後に約束の地カナンへ向かいました。その約束は、彼を大いなる国民にし、祝福し、彼を通して地上の氏族すべてが祝福されるというものでした。それは、アブラハムの力によるものではなく、神の恵みによるものでした。一般に旧約聖書の神は、厳しく、恐れ多く、近寄りがたい神で、新約聖書を通して表わされるイエス・キリストの父なる神は優しく、愛に溢れ、親しい神と安易に理解されがちです。しかし、アブラハムに現れた神は昔も今も変わらぬ神であることを示します。彼の子孫を通して祝福するとの神の約束を、現実を見たアブラハムは信じることができませんでした。しかし、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えて見るがよい。・・あなたの子孫はそのようになる。」との言葉を彼は信じました。まだ、彼が割礼も律法も与えられない前の出来事でした。「アブラハムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」パウロによればそれは、私たちも同じです。(ローマ4:24)

 「神の力は弱さの中で完全に現される。(2コリント12:8)」とのパウロの言葉は、弱さを身に受け、神の力にのみ寄り頼み、救いを成し遂げられたイエス様に倣った言葉、パウロを生かした知恵です。新しい年、主に寄り頼む信仰が私たちに新たな広い展望を与えることを期待し、主に喜んで従って参りたいと願います。