2008年12月28日

「ひかりとともに」 ヨハネによる手紙第一1:5〜10

 あなたにとって今年のクリスマスはどんなクリスマスでしたか?と問えば色々な答えが返って来ると思います。しかし、大切なことは私たちの受け止め方や感じ方ではなく、神の御子イエス様が私たちの罪のつぐないのために来てくださったという事実にあります。

 長老ヨハネはその手紙を通して、神のご性質とその現れである御子イエス・キリストが永遠の命であることを証しました。「この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。」(1ヨハネ1:2、ヨハネ17:3) そしてそれは、耳で聞き、目で見、触れるものであり、空想や作り話とは一線を画するものです。使徒パウロは「わたしたちの宣教は、迷いや不純な動機に基づくものでも、また、ごまかしによるのでもありません。・・人に喜ばれるためではなく、私たちの心を吟味される神に喜んでいただくためです。」(2テサロニケ2:3) と兄弟姉妹にその大切さを訴えました。

 人は、原点や基準を無くすとどこに飛んでいくかわからない凧のような危うい存在です。ヨハネは、その原点がイエス様を神の子と信じる信仰にあり、それをつなぐ糸は信仰に立つ生活にあることを教えます。イエス様は弟子たちに「わたしはまことのぶどうの木、あなたがたはその枝である。」(ヨハネ15:5) と語られ、「わたしの愛にとどまりなさい。」と言われました。ヨハネは「わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりをもち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。」と約束しました。光の中を歩むとは、自分中心の良識や価値観という光によって歩くのではなく、主イエス・キリストと彼にある罪の赦しと愛を目指して歩くということです。光の中心に向かえば向かうほどその影は鮮明になります。しかし、その影が鮮明に分かれば分かる程、神の赦しが人の問題の深みに及ぶことが明らかになります。そして、聖霊の助けによって全ての罪から清められていることを知ります。

 「イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。・・神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。」 光の中を歩む者、それは生活の全領域でキリストに頼る者です。