2008年12月7日

「お言葉どおりに」 ルカによる福音書1:26〜38

 アドベントの第二週となりました。今週は、マリアを通して示された信仰とその対象について心をめぐらす週としていきたいと思います。神様はイエス様の生涯の語り部として多くの人々の中からルカを選ばれました。使徒パウロがユダヤ地方の小さな群れの信仰を世界の宗教に作り上げていったように、ルカはイエス様を全世界の救い主と証明するためにこの物語を書き上げました。

 人は神がなさることを簡単に信じることはできません。そのためには準備が必要で、その準備もまた神のみわざによります。乙女マリアも人の子だったに違いありません。妊娠の知らせと、そのことがもたらす現実に彼女は混乱し気が狂いそうだったかも知れません。そんなマリアに信じる手がかりを天使は伝えます。「あなたの親類エリザベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。」不幸なことや、辛いことがある時、私達は同じ境遇にある人の話しを聞いたり、わが身のことのように分かってくれる人がいたら、慰められ励まされます。マリアは、きっとわが身に起きた一生一大事を分かち合える人がいることを知って驚き、そして勇気づけられたと思います。神は大事をなさる時には備えを与えてくださいます。ちょうど、アブラハムがひとり子イサクを神の命令どおり犠牲にしようとしたおり、代わりの雄羊を与えられ、「主の山に備えあり」(創世記22:14)と歌ったように。

 天使がマリアに信じるように言い渡したことは、生まれる子に「イエス」と名づけることと、その子は聖なる子、神の子であることを信じることでした。イエスという名は最近の流行で言えば「しょうたろう」「たいち」などといった名でした。しかし、イエス様は全世界の救い主となる唯一の名が与えられた方でした。(使徒4:12)

 信仰は、自分には出来ないことに向かって一歩踏み出すことです。天使はマリアに言いました。「神にできないことは何一つない。」神様は、神として最も困難なこと、神が神であることを捨てることをしてくださいました。(ピリピ2:4〜8)人にとっても困難なことは自分のプライドを捨てることではないでしょうか?神様は私たちを罪から救うために捨て身で私たちの罪と関わってくださいました。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」マリアは、主のへりくだりにならい、主のお言葉の前に身をかがめました。主イエスをみ言葉どおり神の子と信じること、それが信仰の始まりであり、ルカも願ったことでした。