2008年11月9日

「大好きだよ」 ルカによる福音書19:1〜10

 今日は、子どもたちの成長を感謝し、礼拝を献げます。イエス様は子どもの素直さと委ねる性質に神様の国に入る秘訣があると言われました。私が子どもの頃、親戚のおじさんが来て、家に泊まっていくことがありました。面白いおじさんで私たち兄弟をよく可愛がってくれました。一緒に食事をし、話をし、楽しいひと時を過ごしました。キャンプなどで泊まって交流を持つと、互いに親近感や普段話せないことや、深い話をすることができます。本日の聖書の箇所では、孤独な人、ザアカイとイエス様の交流が描かれています。彼は、使徒となったマタイと同じ徴税人で、しかもその頭でした。ローマの手先となり、同胞ユダヤ人から税金を取り立てて利益を得ていた徴税人は、金はあっても嫌われ者、罪人と軽蔑されていました。

 「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」イエス様は彼の名(「きよい人」の意)を呼ばれました。その時、ザアカイは神の前に孤独ではないことを知りました。それだけでも嬉しく、彼にとって舞い上がるようなことであったのに、イエス様は呼び出して下さいました。イエス様の心の中にザアカイの場所が用意されていたことを示します。そして、次にイエス様はザアカイと一緒に食事をし親しく深い交わりを願われたのです。これを見た人たちは、皆つぶやきましたが、大切なことは、神様は親しく深い交わりを持ちたいと願う者とは誰とでも分け隔てなく交わりを持って下さるということです。資格はいりません。

 「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子孫なのだから。」イエス様に救われた人の人生は大胆に変えられます。ザアカイは、財産の半分を貧しい人々に与え、だまし取っていたら4倍にして返すと宣言したのです。「大好きだよ」そう言われたいのが私たちです。イエス様の十字架を知る人は、ずっと以前から神様から見守られ、愛されていたこと、一人ではなかったことに気が付かされます。その愛によって悔い改めと救いとが始まります。子どものように素直にありのままの自分で神の前に立つ、そこに祝福がともないます。