2008年11月2日

「死は終わりではなく」 テサロニケ人への手紙U4:13〜18

 この手紙はおそらく新約聖書の中で最初に書かれたもので、初代教会の様子を伝え、同時に信徒たちが直面した問題を知ることのできる貴重な資料です。

 イギリスの神学者J.H.ジョウェットは「死は人生の終局ではない、ただ新しい人生の開始である。死は家の主人ではない、王様のお客のために門を開き、永遠の住いに案内する召使に過ぎない。」と言いました。生まれたばかりのテサロニケ教会は、異教社会やユダヤ教の律法主義者たちからの反対や迫害に耐え、主イエスを救い主と信じ、パウロや主に倣う者となりました。しかし、彼らを内なる誘惑が襲いました。それは、@キリストにあって死んだ者たちの行く末への不安、A主イエスの再臨(再びこの世に来られる)が近いとのうわさが流れ、日常生活がおろそかになる者たちが現れ混乱が生じた、というものでした。そこで、パウロは言います。

 @「イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。」闘病生活という言葉がありますが、闘死生活とは普通言いません。人は「死」と戦って勝ちめはないと思ってるからでしょうか?しかし、主イエスは、死をもたらす罪と戦い、勝利してくださいました。「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」(Uコリント15:55) 主イエスは、罪による霊の死、そして永遠の死から救い復活によって肉なる体にも希望を与えてくださいます。「私を信じる者はたとい死んでも生きる」〈ヨハネ11:25〉

 A「わたしたちが命じておいたように、落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい。」(11節)ジョウェットはまた、「私たちは有限の時間内を歩く巡礼者のようなものではなく、永遠の子供のように、永遠の土台の上に生涯の計画を建てるべき」と言いました。信仰の先達たちはイエスを信じて眠りにつきました。何を私たちは心配することがありましょうか。御国を下さることは神のみこころなのです〈ルカ12:32〉。人生の実力は、生前の功績や財産にではなく、その人が眠りにつく時何を信じて魂を委ねたかにかかっていると言えます。そこに、日々喜び、祈り、感謝を中心とする生活が建てられていきます。〈5:16〉