2008年10月26日

「感謝を胸に明日に向かって」 マタイ福音書20章1〜16節

 日本の労働環境の問題が深刻化しています。今の日本の現実さえ、納得できない状況なのにイエス様のぶどう園の労働者のたとえはもっと理に合わない理不尽な話に思えます。しかし、このたとえの肝心な点は@神の救いに全ての人が招かれていること、とAその働きに私達を動かすものは「感謝の心」だということです。

 @“はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。”(21:31)朝早く市場に来た人々は信仰深く、健康や能力、才能にも恵まれ、正しい人たちだったに違いありません。決してそれが悪いわけではなく、誠実に一生懸命雇い人に応えるべく一日中働いたのだと思います。そして、時間が過ぎるごとにぶどう園の主人は人を雇いに行きますが、最後まで市場に出てきていない人々がいました。それが、徴税人、罪人をはじめとする社会的に弱い立場の人たちでした。主人の願いは全ての人を収穫の喜びに招くことでした。自分は神の国にふさわしくないと思う人ほど神の畑に招かれているのです。

 A“二人の人が祈るために神殿に上った。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。・・ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』”(ルカ18)自分の力、能力、自分の信仰によってではなく神の憐れみによって赦され、働き甲斐を与えられた人に生まれるものは感謝です。雇われるとは思っていなかった罪人たちは感謝ゆえ、あくる日は最前列に立って喜んで主人の畑で働いたに違いありません。「後の者が先になり、先にいる者が後になる」とは、そのような、神の愛に応え自発的に神に従う人が先に立つようになることと言えます。誰であろうと、何処にいようと、何をしていようと、神が人生最大の収穫、魂の救いのために私たちを等しく招いて下さっていることを知り、感謝をもってこれに応えること、大切なことは神様に雇われることです。自分の力ではなく、神の憐れみと恵みによって赦されることを告げる福音は、人をねたみや嫉妬から開放してくれ、良い目を人に向けるよう育てられていきます。