2008年10月5日

「静まって」 ルカによる福音書6章12〜16節

 「そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。朝になると弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。」

 共観福音書(最初の三福音書)によればイエス様には数多くの弟子がすでにいたことが分かります。その中から特に12人を選び、使徒と名づけられました。12人とはイスラエルの12部族を示し、任命とはイエス様の代理として権能(何かをする力)を与えて派遣するためだったと思われます。大事な働きに使徒たちを派遣するにあたり、イエス様はまず神に祈られました。そのイエスの祈りに学びます。

 「すぐに祈る」マルコ1:35によれば、「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。」とあります。一日の始まりに何をするにも一番にイエス様は祈られました。朝一番ということだけでなく、出来事の初めに、また何かが起こったらすぐに祈ることは重要です。自分の思いを率直に正直に心を込めて祈ることを神は喜んでくださいます。それは、私たちに、神に信頼して生きる習慣を与えてくれます。神を第一とする具体的な生き方です。
「静まって祈る」ルカ5:16によれば「イエスは人里離れた所に退いて祈っておられた。」とあります。イエス様は大勢の群集から一旦離れることを選ばれました。私たちには人間関係や自分自身のこだわりや思い込みから離れられないで悩むことがあります。しかし、神の前に静まることは、自分の力を捨てて神の知恵に心を開く習慣を私たちに与えてくれます。「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」

 「熱心に祈る」ルカ22:44で、「イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。」とあります。イエス様のゲツセマネでの祈りは、父の御心なら受難の杯を取りのけていただくことでした。しかし、イエス様は最後には父の御心に任せられました。熱心に祈るとは熱狂的に祈ることとは違います。クリスチャンは「イエス様のお名前を通して」祈ります。私たちは私たちの祈りに神が当然答えてくださるべきと自分中心に考えてしまいがちです。しかし、聖なる神に祈り求める権利を与えてくださったのはイエス様です。イエス様のお名前を通して祈る時、聞いてくださる神の愛を私たちは知ります。