2008年9月28日

「夜明けに立つイエス様」 ヨハネによる福音書21章1−4節

 今日、私が協力牧師として、この青葉教会でメッセージをさせて頂くのが最後となりました。神様がこんな私を用いて今日まで支え導き、成長させてくださった事に感謝を致します。小田先生、久代さんも忍耐を持って導いてくださいました。また、教会員の皆さんが寛容な心で私たち家族を受け入れてくださり、良き交わりしてくださいました事に心から感謝を致します。

 今、こんな「私」と申し上げましたが、過去を振り返ればこんな「私」という言葉しか見つかりません。自分勝手に生き、多くの人に迷惑をかけてきた私が、あるとき挫折を味わい、投げやりの人生を過ごしていた時がありました。私はそんな状態の中でイエス様と出会い、イエス様の素晴らしさを知りました。しかし、イエス様と出会ってからも何故ですかと何度も嘆く事がありました。次男の障害、妻の病気、長男のくも膜のう胞、私も牧師になってから、自分自身のふがいなさに嫌気がさして、もう牧師をしていけないと思う時期もありました。今、そんな過去を振り返りながら、しかし、イエス様は私のために夜明けを備えてくださっていた。それは「夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた」4のです。

 今日の聖書の箇所ですが、イエス様を信じて従って行ったのに、イエス様が十字架にかけられ死んでしまいました。弟子たちはイエス様に絶望し、過去の生活(漁師)に戻っていきました。漁のことでは豊かな経験と知識を持っていた弟子たちでしたが、その彼らが夜通し漁をしたが何も獲れませんでした。しかし、その状況をイエス様はじっと見ておられました。そして「夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが弟子たちは、それがイエス様だと分からなかった」4とあります。私たちも暗闇の中にあるとき、イエス様がそばに立っておられても分からなくなり、イエス様を見失ってしまう事があります。でも、私たちがイエス様に気づかなくても、イエスから離れているように思えても、イエス様は私たちの為に祝福を備えていてくださるお方なのです。そんなすばらしいイエス様を見失うことなく、これからもご一緒に歩んで行きましょう。