2008年7月13日

「神の恵みに生かされて」 エフェソ1:15〜23

 私たちはそれぞれ自分専用の量りを持っていて、それで物事を判断していきます。そして悪いことに、自分の量りで神様を量ってしまう事があるのです。しかし、私たちは自分の量りの中に存在する神を信じて生きるのではなく、私たちの量りを超えた「神の恵の中で生かされている」と言う事を信じて生きるのです。その為にパウロは3つ執り成しの祈りを神様にしてくだりました。

 初めに「神様をもっと深く知る事ができるようにし、心の目を開いて下さるように」17そのためには聖書を味わって読む、メッセージを聞く、祈りなどがあります。特に私たちは祈ることが赦されている者として、日々の祈りの中で神様を深く知っていく事ができます。神様、あなたは私に何を望んでおられるのですか?と尋ねなければならない時もあります。しかし、神の御心を求める事は神を深く知るときなのです。

 次に「私たちに与えられている希望、また受け継ぐものがどれほど豊かで栄光に輝いているかを悟らせて下さるように。」聖書に「私たちは神の子とされ、救われ、天の国を受け継ぐ者とされました」とあります。4-11例え私たちが最悪な状況の中にあっても、この約束は変わることはありません。「わたしは、あなたがたのために立てた計画をよく心に留めている。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう」エレミヤ29:11−12

 最後に「私たち信仰者に対して絶大な働きをなさる神様の力が、どれほど大きなものであるか悟らせてください」19まず、私たちの量りで神を量らないことです。イエス様が十字架に掛けられ息を引き取られたとき全員が失望しました。しかし、神はイエス様を死から復活させてくださいました。誰が考えてもあり得ない、完全に不可能なことを、その御力を持って可能としてくださいました。神はその御力を持って過去も、現在も、未来に至るまで、私たち一人一人を支えてくださるのです。私たちは自分の量りに入る神を信じて生きるのではなく、偉大なる神の力の中で、その「恵みの中で生かされている」そのことを確信して生きるのです神の力の中で、その「恵みの中で生かされている」そのことを確信して生きるのです。