2008年6月29日

「神のみ言葉に立って」創世記 8:13〜19

 パウロはフィリピの教会に「何が重要であるかを判別することができ」(1:10)るようにと書き送っています。どんなことにおいても「何が大切か」を知って、その大切な点を抑えておくことが重要です。

 私たちは、主イエス・キリストを通して教会に連なっている者たちです。その教会が、聖書が説く「神の教会」として建て上げられるために何が大切なのでしょうか。そして私達の教会が目指しているビジョンを実現するために、どこをしっかりと押さえておくべきなのでしょうか。「ノア」を通して学ぶことにいたします。

 ノアが生きていた時代状況については、創世記6:1〜8と11〜12で説明されています。罪に満ちた人間、悪魔がはね回っているような時代でした。そこで神は、超自然的な処置を取られたのです。それが「ノアの箱舟」です。

 ここで学び、考えたいことは「すべてが滅んでいく中で」(7:21〜22)「ノアと、彼と共にいたものだけが残った」(7:23)のは何かということです。<箱舟によって>でしょうか。私は、その答えに異を唱えることはしませんが、それ以上に大切なことがあることを指摘したいのです。

 ノアが箱舟を造ったのは、彼の思い、計画からだったでしょうか。そうではないのです。「箱舟を造りなさい。」(6:14)という神の言葉に従って造ったのです。出来上がって箱舟に入ったのも、同じく神の言葉に促されて入ったのです。(7:1、5)。珍しい形の変わった舟に早く入りたいとして入ったのでもありません。箱舟から出るときも、同じなのです。「水が減り始め」(8:1)「水は地上から引いて」(8:2〜3)「水はますます減って・・山々の頂が現れた」(8:5)ことを知っていても、箱舟から出ようとはしなかったのです。

 更に、カラスと鳩を飛ばし、地上の状況を確かめ、「地上がすっかり乾いたことを」(8:13〜14)確認しても、ノアは箱舟から出ようとはしないのです。彼らが箱舟に閉じ込められていた期間は、一年間です。大気と地上に飢えていたことでしょう。ノアは、神の言葉を聞いてから、そこで腰を上げたのです(8:15〜19)。

 教会が神の教会として正しく立ち、成長するのは、神の御言葉にしっかりと立つことです。「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯。」(詩篇119:105)