2008年6月8日

「あなたの居場所」 マルコによる福音書2:13〜17

 教会では6月第二日曜日を「花の日」とし、同時に「子どもの日」としています。花が咲き揃う恵みの季節と、神様から授かり預かっている子ども達を感謝し、子ども達にとって平和で幸いな世界を願い求める日でもあります。お花も子ども達も、育てて下さるのは神様です。そこに恵みとして与えられた家族を感謝します。家庭は本来、心と体を憩わせ養う場所で、神が与えて下さった居場所です。そして、自分が所属する基本的な場所です。

 イエス様は伝道を始めてからまず弟子達を集められました。イエス様はまず弟子の家族と深い交流を持たれたようです。その中心は食事でした。漁師のシモン・ペトロとその兄弟アンデレ、ヨハネとその兄弟ヤコブに続き、徴税人マタイがその群れに加わりました。彼はその職業柄皆の嫌われ者、罪人の一人でした。一般のユダヤ人の中にあっては居場所の無い人だったのです。

 教会は本来、礼拝を中心とした神の家族としての共同体でした。その中心になるのが主の晩餐、イエス様の言葉を聞きがら食事を分かち合う喜びのひと時だったのです。そこでは分け隔ても差別もなく、イエス様にあって皆平等で、しかも貧富の差なく食事を共にすることが大切なことでした。礼拝は人が集まり出会うということばかりでなく、日常の関係から出て神に出会い神との関係に入れられていくことです。

 マタイは、共同体から拒絶され一人ぽっちでしたが、イエス様の招きに応え、自分の属する所を知りました。そして、自らの意思でイエス様に従い、従うことを喜びとしたのです。そのお祝いの席に来てくれたのは実に大勢の徴税人や罪人たちでした。赦しの必要を自覚している人々だったのです。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。」子ども達が親を頼りとしなければ生きていけないことを知っているように、イエス様が招かれるのは、罪の赦しの必要を知っている人たちでした。マタイのその後の明らかな記録はありませんが、福音書を記し、魂の故郷に帰ったと思われます。自分の霊と心の居場所、行く場所を持っていることは実に平安なことです。