2008年6月1日

「多く赦され、多く愛する」 ルカによる福音書7:36〜50

 ファリサイ派のシモンがイエス様を招いて食事会を開いていました。シモンの家にイエス様がきていることを知り、一人の罪深い女がやってきました。そして、「後ろからイエス様の足元に近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻をして香油をぬった」38 それを見たシモンはイエス様のことを「もし、この人が預言者なら、自分に触れている女がどんな人か分かるはずだ。あの女は罪深い女である、預言者であれば、そのような女に絶対触れさせない」39と心の中で思った。

 初めに、シモンは何故イエス様を招いたのでしょうか。当時、お客さんを招いた時には、最初に足を洗う水を出すこと、次に口づけをすること、香油を塗ることが習慣となっていました。これは相手に対しての挨拶であり、尊敬や感謝の意味があります。しかし、シモンはそれを行いませんでした。イエス様は「わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかった。あなたはわたしに接吻も挨拶もしなかった」44、45。シモンはイエス様の事を「先生」と呼んでいますが、決してイエス様を尊敬して慕って招いた訳ではなく、群衆に人気のあったイエス様を招くことにより、周りに自分の力を誇示し、更に自分の価値をあげようとするためでした。

 次に、イエス様を通してシモンと罪深い女の心があらわにされていきます。シモンは罪深い女がイエス様の足を直接触って香油を塗っているのを見て、イエス様が預言者であるならば目の前にいる者がどんな女性かを見抜き、そして、清くない者から離れ去るだろうと思っていました。しかし、イエス様は「私は正しい人を招くために来たのではなく、罪人を招くためにきた」とあるように罪人と共に歩んで下さったのです。シモンは罪人の女を見下し、そして、イエス様にも失望と疑問を抱きました。

 最後に、イエス様に受け入れられたこの女性は、今もっている一番高価で大切な香油をイエス様に惜しみなく捧げました。それが彼女の精一杯の愛の表現でした。「だから言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる」47 皆さん、イエス様は私たちの為に何をして下さいましたか?どのように私たちを愛されましたか?今一度、あの十字架を思い起こしましょう。イエス様を愛さなければなりません。これは律法です。本当に赦された者はイエス様を愛さずにはいられなくなるのです。