2008年4月27日

「愛のシェルター」 詩篇46:2

 「神はわたしの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる」46:2 

 私たちは、なるべく苦難に遭わないように計画して歩みますが、人生は計画通りには行ってくれません。私の人生「こんな筈ではなかった、どこで間違えてしまったのか」と悔んだり、また背負っている重荷に耐えかねて、その場に座り込んでしまうこともあります。傷つき痛みを覚える事もありますし、寂しさや、不安に悩まされる事もあります。この詩篇の著者はたくさんの苦難を背負いながら,こう告白するのです。「神は私の避けどころであり、力である」この詩人にとって神様は苦難の中にある時の避けどころだったのです。

 皆さんにとって神様とはどんなお方でしょう?今日の詩篇の著者と同じように「神は私の避けどころ」となっているでしょうか。イエス様は「疲れた者、重荷を負うものは、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」マタイ11:28 と仰せられました。イエス様は私たちがどのような人生を歩むかをご存知のうえで、いつでも私のもとに来なさい、休ませてあげようと言われたのです。私たちはこの御言葉を素直に受け入れたい者です。そして、いつまでも自分の力にしがみ付いていないで、駄目だと思ったら神というシェルターに逃げ込むことです。そこは、私たちが十分に休息できる愛のシェルターなのです。そのシェルターは愛に満ちていて、私たちがどんなに傷ついていても、どんなに疲れていても、その愛によって癒され、励まされ、それぞれが抱えている問題を乗り越える勇気と力を与えてくださるのです。

 では、そのシェルターはどこにあるのでしょうか?それは「苦難のとき、必ずそこにいます。」と約束してくださっています。「神様、なぜ、どうして応えて下さらないのですか、私はもう駄目だ」などと嘆き叫びたくなることがありますが、しかし、それが真実の祈りです。聖霊は目に見えませんが、私たちの切なる祈りを聞き入れ、愛のシェルターに招き入れてくださるのです。私たちにとって神様とは「わたしの避けどころまた力である。悩める時のいと近き助けである」故に、「わたしは恐れない、わたしは揺るがない」となるのです。