2008年4月20日

「本当に大切なこと」 ルカによる福音書10:38〜42

 私たちは、新会堂建設を進めようとしています。その計画を進めていくとき、私たちの教会がキリストの教会として歩む上で大切なものとは何か、その器としての教会堂を、どのように用いていくか、この1年ご一緒に考えつつ計画を進めてまいりたいと思います。マルタとマリアの記事からもそのことを学ぶことが出来ます。

 この箇所の少し前で、律法の専門家が「永遠の命を得るために何が大切か」と問います。イエスさまが律法には何と書いているかと聞き返すと、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くしあなたの神である主を愛せよ。また隣人を自分のように愛せよ。(10:27)」と答えます。このあと、隣人を愛することのたとえとして有名な「善きサマリア人」の話が記されています。そしてその次に「マルタとマリア」の話が出てきます。ここではもうひとつの大切なことである「神を愛する」ということについて語られています。

 マルタはイエスさま一行のために精一杯立ち振る舞い、もてなしをします。しかし、マリアは、イエスさまの足許に座り、熱心に御言葉に聞き入っていました。マルタはイエス様に「マリアに手伝うように言ってほしい」と不満をぶつけます。その言葉に対してイエスさまは「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(10:41,42)と諭します。

 これは決しマリアの方が良くて、マルタの奉仕を咎めているのではありません。マルタの奉仕もすばらしいのですが、あまり一生懸命になりすぎて、思いわずらい、心を乱してしまった。イエスさまに喜んでもらうことを忘れ、自分を喜ばすことに心が向いてしまったことについて、イエス様はマルタを諭したのだと思います。これは私たち、また私たちの教会でも気をつけなければならないことだと思います。神様への奉仕が、忙しくなりすぎて、疲れてくると不満不平が出てきます。「私はこんなに奉仕しているのにあの人は…」と人を裁いていくことがあります。しかし、私たちはみな神様から一人ひとり豊かに賜物を頂いています。その賜物をは一人ひとり違います。それぞれの方法で、神さまを愛し、神さまに喜んで頂くことができればすばらしいと思います。人と比べたり、裁いたりせず、お互い隣人として認めて豊かな交わりが行われるそのような教会としてこれからも歩んでいきたいと思います。