2008年3月9日

「イエス様とわたしの関係」 マタイ26:31〜35

 「そのとき、イエスは弟子たちに言われた。『今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく。』するとペトロは『たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません』といった。」イエス様はそんなペトロに「はっきり言っておく、あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」ペトロは、「たとえご一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言った。31−35

 今日はペトロを通して2つのことを考えていきたいと思います。

1.ペトロがつまずいた原因とは?

 イエス様が逮捕されると弟子たちは、イエス様が言われた通りに、みな逃げてしまいました。「たとえみんながあなたにつまずいても、私は決してつまずきません。」33と告白したペトロも、イエス様を見捨てて逃げてしまいました。更にペトロはその後三度もイエス様との関係を否みました。この出来事を通して、つまずきは人間の弱さゆえの原因ともう一つの側面がありました。それは、ペトロの考えていた救い主とは、ローマの支配下になっていたイスラエルの解放です。イエス様が剣を持って立ち上がったときに、その先頭に立って戦うつもりでいました。ペトロにとっての救い主とは自分の理想を実現する為の救い主でもありました。ペトロはその思い込みの中で主に従い、主の為に働いてきました。さて、私たちの信仰はどうでしょうか?イエス様を信じていますが、それは私の理想のために居てくれる主であり、自分の願いを実現してくれるだけの主であったりしていないでしょうか?

2.イエス様とわたしの関係、

 復活された主はペトロに現れ「わたしを愛しているか」ヨハネ21:15と三度も聞かれました。それに対してペトロの返事は「あなたはご存知です」15と言った曖昧な返事でした。しかし、イエス様はあの時私を裏切ったとか、まだ、私を信じないのかと責めたりはしませんでした。ただ、ペトロに関係を修復して「わたしに従いなさい」と言われたのです。「イエス様と私の関係」は、私たちに立派な信仰が出来たらとか、人を裏切らないような立派な人間になったら関係が成り立つのではありません。ありのままの自分で、主よ、これかもあなたを悲しませるかも知れません。これから先どうなるか分からない弱い私です。でも、私のために十字架について下さり、私を愛して下さっているあなたを信じて従います。それで「イエス様と私の関係が」成立するのです。