2008年2月24日

「どんな時にも対処できる秘訣」 申命記8:1〜10

 モーセに率いられてエジプトを脱出し荒野を旅したイスラエルの民、その旅もまもなく終わりを告げようとしたとき、モーセは民に言いました。「この40年の荒野の旅を思い起こしなさい」2、イスラエルの民にとって荒野の旅は飢えと不安の40年でした。それを思い起こす事はとても辛い事です。人は誰でも辛い過去は思い出したくないからです。

 しかし、モーセは40年を思い起こす中で、苦しくて、神様から見放されたと感じた時も、神の存在を疑った時もあっただろう、それは、神がそのような試練を通して、あなたたちの心を吟味しようとされたのだと言いわれます。「主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった」3ここに神が与えた試練の目的が書かれています。

 神はこの試練を通して、あなたたちを本当に養っておられるのは誰か、そして、人は神様によって生かされているのだと言う事を伝えようとされたのです。「この40年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった」4節 思い起こせば必要なものはすべて与えられていました。

 更にモーセは一つの忠告をします。あなた方がこれから入るカナン地、そこは良い土地である。しかし「あなたが食べて満足し、立派な家を建てて住み、牛や羊が増え、銀や金が増し、財産が豊かになって、心おごり、あなたの神、主を忘れることのないようにしなさい」11〜14と。

 苦しい時には真剣に祈っていたのに、順調で何も問題がない時は祈る事すらやめてしまう事があります。苦しい時には、神様はすぐそこに感じていたのに、そうでなくなると、神様が分からなくなってしまうものです。モーセが彼らに荒野の40年を思い起こしなさいと言われたのは、私たちの営みそのものが、神様の支えなしには成り立たない事をわきまえるためなのです。

 波乱に満ちた人生を送ったパウロもこのように言っています。「物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています」フィリピ4:11

 「どんな時でも対処できる秘訣」それは、どんな時でも神様を信頼して生きる事、そこにこそ、私たちが幸福に生きる道があるのです。