2008年2月3日

「信仰による執り成し」 マルコ2:1〜12

 「イエスが御言葉を語っておられると、四人の男が中風の人を運んで来た。しかし、群集に阻まれて、イエスのもとに連れていくことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に『子よ、あなたの罪は赦される』と言われた。」3−5

 今日の箇所を始めて聞いた方はとてもびっくりする箇所だと思います。人の家の屋根を壊してまでもイエス様のもとに病人を連れて行こうとしました。皆さんはどう思いますか? 良い言葉で表現すれば、とても熱心な信仰者です。他の言い方をすれば過激な信仰者、そこまでしなくても、また、この次の機会でも良いのではないか、いろいろあります。

 彼らはイエス様の元に行くのに、それが困難な状況であろうと、あきらめて帰るという道ではなく、屋根をはがして穴を開けるいう道徳的には反する行動をとってまでも、信仰によってイエス様の元に行くという決断したのです。イエス様はそんな信仰であっても一切否定されませんでした。そして、彼らの信仰だけを見て、天井から下ろされ、床の上で横たえている中風の人に向かって「子よ、あなたの罪は赦される」と仰せられたのです。

 では、この男たちの信仰とは何でしょうか?それは、この中風の人を病から救ってあげたい、何とかしてあげたいという思い、そして、イエス様の元に行けば、必ず癒されると信じたこと。その信仰が病人を運び、屋根をはがし、批判を浴びてもイエス様の前にお連れしたのです。これは「信仰の執り成し」であります。私たちが一人の人を、また、その人の人生を、抱えている問題をキリストの所に持っていくなら、それは「信仰の執り成し」なのです。

 私たちが救われたのも、きっと、私たちが知らないところで、執り成しをしてくれていた人たちがいたのです。それは自分が知らないだけで、私のために祈ってくれていた人がいるのです。私たちも、今日の四人の男性のように「執り成し」が出来るように、悩み苦しみ悲しむ者を主の御もとに導き、「執り成す」事が出来ますように、病の中にある人々のために祈りを持って「執り成す」事が出来ますように、また、主の御言葉を持ち運ぶ事が出来ますように、そして多くの人が「あなたの罪は赦された」この御言葉をイエス様から頂きたいと願います。どうか、お一人お一人が主の働きのために用いられますように。