2007年12月30日

「終りは始まり」 ルカ福音書24:13〜35

 今年も主なる神の恵みと憐れみにより、守り支えられてきたことを感謝いたします。年の終りに思うことは、今あることは神の恵みであり、新しい年は神の憐れみによって備えられ希望があるということです。さまざまなことがあった一年でしたが、感謝と祈りとをもって新年に臨みたいと思います。

 四つの福音書はイエス様の到来とその救いの業とを様々な角度から意図をもって記録されたものですが、明らかにそのどれもがイエス様の宣教が十字架の死によって終わったものと見なしてはいません。むしろ神による新しい時代の始まりをダイナミックに記録しています。特にルカにとって、イエス様の誕生と宣教の業、十字架の死、復活の出来事は人間の歴史に事実として刻むべきものなのです。ルカはまた、イエス・キリストこそ全世界を救う救い主であり神であることをその後の使徒たちの働きと教会の成長記録を通して証しました。

 イエス様誕生の最初の知らせはルカによればユダヤの最も小さな存在にしか過ぎず人々に信用されていなかった羊飼いに伝えられました。そして、イエス復活の知らせは当時の社会的弱者でもあり弟子達にも信用されない婦人たちに届けられました。また、弟子達の中で復活後のイエス様に最初出会ったのもイエス様を三度も否み、イエス様を見捨てたペトロでした(34節)。神の救いの業はこの世に見向きもされない小さな人々や弱い者たちから始まりました。

 エマオ途上での出来事は、人の知識や知恵、力の終わったところから神の業が始まることを私たちに教えてくれます。二人の弟子達は目の前にいるイエス様が分かりませんでした。人の道理や常識は聖書の言葉に向う私たちの顔や心を暗くします。そして、神の業を認めさせません。弟子達の説明にイエス様は嘆きの声を上げられました。そして、聖書が語る事実を説明されたのです。ルカはその後の使徒の働きを記録した言行録の最後にも物分りの悪いユダヤ人たちに対してパウロが嘆きの声を上げ、福音が異邦人に向うことを証しました。

 人間の歴史の解釈や日々起こる様々な出来事の解釈も「信仰」を通して理解しなければ失望に終わります。イエス様の食前の賛美と祈りの仕草にクレオパ達は死んだはずのいつものイエス様を見出しました。そして、彼らは聖書の本当の解釈を通して信仰が再び燃え立たせられたのです。今年一年の出来事を信仰によって振り返り、新しい一年も聖書に親しみ、信じて読むことによって、勝手な思い込みや誤解から開放され、希望を持って生きて参りましょう。