2007年12月9日

「曇りのち晴れ」 マタイによる福音書4:12〜17

 「暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が差し込んだ」そのときから、イエスは「悔い改めよ。天の国は近づいた。と言って宣べ伝え始められた」16、17これは預言者イザヤを通して語られた御言葉です。

 さて、この救い主誕生の預言はどのような人々に向って語られたのでしょうか?それは、暗闇の中にある人々です。暗闇とはギリシャ語で、「光が届かない」ところです。真っ暗闇のような絶望的な状態、そこには喜びも感謝もなく、もはや自分自身の力ではどうする事もできないところ。イザヤは暗闇について「人々は苦しみ、飢えてさまよう、人々は飢えて、憤り、顔を天に向けて王と神を呪う。地を見渡せば、見よ、苦難と闇、暗黒と苦悩、暗闇と追放。今、苦悩の中にある人々には逃れるすべがない」8:21.22と言う。

 イザヤが語った暗闇の一つに、「飢え」があります。更に飢えには肉体的な飢えと、心の飢えがあります。私たちの胃袋は日々満たされています。では、心の方はどうでしょうか?充実していますか、生きがいを持っていますか、満されていますか。それとも、満たされず、何かに飢え渇いていませんか?私たちの心は一体何に飢えているのでしょうか?それは「愛」です。私たちの心は人間の愛だけでは満たされないのです。神様と正しい関係を持たなければ、私たちの心は満たされず、安定しないのです。私たちの満たされない曇り空のような心には愛という光が必要なのです。

 暗闇に光が差し込んだとあります。イザヤが予言した光とはイエス・キリストであります。このイエス様が全ての暗闇を光に変えてくださるのです。「わたしは、世の光である。わたしに従うものは暗闇の中を歩まず、命の光を持つ」ヨハネ8:12、また、 私たちの心の飢えは、イエス様の愛によってしか満たされないのです。「わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」ヨハネ6:35 

 では、私たちがこの大きな光に照らされて歩むには、イエス様はこう言いました。「悔い改めよ。天の国は近づいた」 それは、「向きを変える」ということです。私たちの心の問題を解決する本当の方法は、イエス様を心に受け入れる事です。そうすれば私の内から闇がなくなり光り輝くのです。回りが変わらなければ自分は変わらないと思っていましたが、そうではありません。イエス様を信じ心に受け入れたとき、自分が変えられるのです。私の心が変われば、回りがどうであれ、心は晴々とし、そこは天の国なのです。