2007年9月9日

「燃え尽きない人生」 出エジプト3:1〜6

 「彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃えていない。」3

 「燃え尽き症候群」という言葉があるように、私たちは人生の中で幾度となく燃え尽きてしまうことがあります。それは、燃え尽きる火によって燃やされているからではないでしょうか。モーセは言った「どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう」それでは、私たちが燃え尽きない人生を送るための秘訣はなんでしょうか。

 モーセがその不思議な光景を見届けようとしたとき、柴の間から声がありました。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから」5 実はここに燃え尽きない秘訣があります。履物を脱ぎなさいとは、自分を明け渡すことです。聖なるところとは、神の領域であります。つまり、神様のご支配される場所に自分を主として踏み込んではならないのです。私たちが土足のまま、神の領域に踏み込むとき、私たちは行き詰まり、不安になり、恐れるのです。

 例えば、明日の事を思うと、また、将来のことを考えると不安で眠れない、そんなときがあります。では、明日という日は、私の領域でしょうか?それとも神の領域でしょうか?それは神の領域であります。その神の領域に土足で入っていき、それを自分の力でコントロールしようとしても出来ないのです。尚且つ、そこで自分の主権を主張し続けるとき、私たちは燃え尽きてしますのです。故に「明日のことまで思い悩むな、明日のことは明日自ら思い悩む」と言われているのです。マタイ福音書6:34

 また、人間をつくられたのは神様です。家族も友人もみなそうです。ならば同じように神様の支配される人の人生を自分がコントロールしようとしても出来ないのです。しかし、家族などは自分の領域と思いコントロールしようとします。そしてコントロールが出来なくて、苦しんだり、思い煩ったりするのです。

 私をつくられたのは誰ですか?それは神様です。ならば、この体も心も神のものなのです。それならば、神様に自分の全てを明け渡すこと、自分を十字架に付けることです。尚も、私たちがそこで、自分と言うものを主張し、土足のまま動かなければ、これからも燃え尽きる人生を送らなければなりません。しかし、神が私たちに望まれるのは燃え尽きない人生を歩むことなのです。