2007年8月12日

「苦難の中での喜び」ペトロの手紙(一)4:12〜19

 仏教に「四苦八苦」と言う言葉があります。人間には大きく四つの苦しみがあると言われます。それは「生、老、病、死」生きる苦悩、老いる苦悩、病の苦悩、死の苦悩です。その他に八つの苦しみがあるのではなく、他にも四つの苦があり、合わせて八苦あるという意味です。その他の四つの苦は「愛別離苦」愛する人と別れる苦悩。「怨憎会苦」怨み、憎む人と出会わなければならない苦悩。「求不得苦」求めても得えられない苦悩。「五陰盛苦」欲を制御できない苦悩。私達はこんなにも多くの苦を背負って生きているのです。更にペトロはキリスト者には、この四苦八苦の他に、もう一つの苦しみがあると言われます。

 当時、ユダヤはローマ帝国が支配をしていました。ある時期からローマ帝国の権威が強められ、精神的統一をはかる為に皇帝礼拝を強制しました。ローマ皇帝を神と崇め礼拝せよと、彼らはローマ皇帝に従うか、キリストに従うか、と言う立場に立たされたのです。彼らはキリストに従う者としての道を選びました。それは苦しみを受けることを自ら選び取ったのです。

 キリストのために苦しみを受ける事は、強制ではく自らが選び取っていく事なのです。「あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。」14

 私たちがキリストの名のもとに苦しむとき、それは本当の意味で、イエス様と一体になるときなのです。神の霊が私たちに留まり私たちを慰め、励まし、そして喜びで満たしてくださる。「義のために迫害される人々は幸いである、天の国はその人たちのものである」マタイ5:10 まさに天国の先取りであります。

 イエス様は十字架のあと復活をされました。復活はこの世に勝利された証です。世に勝利したというのは、冒頭に申しました、人間として受けるべき四苦八苦も克服されたのです。ですから、私たちはこの方によって苦難の中にあっても喜ぶことが出来るようになるのです。「生、老、病、死」生きる事が苦であったが、今は生かされている喜びに変わり、外見は老いていきますが、それ以上に内面は光り輝く、また病の中にあっても感謝して生きる希望を与えられた。死の苦から、神のもとに帰り、永遠に生きる喜びと、再会できる喜びも与えられた。これが、イエス・キリストに従うことを選び取った者への恵なのです。