2007年7月22日

「神に倣う者となりましょう」エフェソ5:6−20

 神に倣う者とは、常に神を模範とし、それに見習う生き方をすることです。それには私たちの霊的成長も必要になり、また、光の子としての自覚も必要です。

 人間が霊的成長をしていく事は特別なことではなく健全な姿であります。植物の成長は「芽が出て、穂になり、実を結ぶように」私たちも同じように、主に結ばれて、養われ、霊の実を結びます。それは「愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」ガラテヤ5:22 霊が成長すれば、素晴らしい実を結ぶのです。ただ、残念な事に自らの霊的成長を望まず、何年も同じ状態に留まる事があります。それは、キリストを信じて満足し、「私は平安です」と言って、自分の中にある満たしだけで良しとしている事であります。しかし、神はこう仰せられます「あなたがたは世の光である」「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい」マタイ5:14−16 皆さんはどうでしょう。世の光として歩んでいますか?皆さんの光を人々の前で輝かせていますか?振り返って 自分に問いかけて見てください。

 私たちは現在の土地を取得し、数年後に会堂を建てたいと言う願いを持っています。また、青葉キリスト教会のビジョンの中に、地域の憩いの場(オアシス)、神の愛を伝える場(灯台)、地域と共に分かち合う場(庭)があります。将来、ここに素晴らしい会堂が建っても、建物だけではビジョンは無意味なのではないでしょうか。なぜ故ならば、その一つ一つの働きをしていくのは、私たち一人一人だからです。

 その為にも私たちに、神様が何をしてくださったかが、はっきりしてこなければ、霊的成長はおろか、光の子としての生活も、社会を突き進む力強い生き方もできないのです。私たちが今ここで、改めて、はっきりさせなければならない事は「あなたがたは、神に愛されている子供ですから」5:1 であること。これが神と自分との関係なのです。ここにおられます一人一人が、神に愛されている子供である、「神は、その独り子をお与えになったほどに、私たちを愛してくださった」ヨハネ3:16 この事が自分の中ではっきりする時に、私たちは神の愛に応え、神に倣う者となっていくのです。「以前は暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい」5:8 光の子として自覚したとき、キリストは私たちを更に照らしてくださるのです。