2007年7月1日

「キリストの住まい」 エフェソの信徒への手紙3:14〜21

 獄中書簡の一つと言われるエフェソ書は、当時の出来て間もない教会に回覧された手紙だと言われています。現在、私たちが読むことのできる新約聖書も無く、彼らには信仰生活や教会形成へのガイドブックもありませんでした。むろん、専用の教会堂も無く、当時はユダヤ教の会堂や個人の家を開放して礼拝を守っていたと考えられています。何も無かった教会にさえ異端の教えという内なる誘惑が忍び込んでいたとするなら、今を生きる教会には多くの分裂の危機があると言えます。そんな今を生きる教会に対してパウロは祈りをもって神の導きを祈りました

 神は現実的な愛の関係を求めておられます。信じる者、教会が直面する問題を通して私たちの愛の関係が本物かどうか明らかにされます。それは、神が私たちを試そうとしておられるのではなく、強めて下さろうとしておられることです。4章でパウロは一致について語ります。皆が同じになるのではなく、違いを認め合い一つ思いとなりキリストを結び目として組み合わされることを言っています。万人祭司とは信仰の利己主義ではなく、執り成し合う関係を築くということです。

 神の愛は立体的で四次元的です。広さ、長さ、高さとは、神の寛容と救いの歴史の壮大さ、救いのご計画の崇高さを表します。深さがあるとは忍耐の深さを示し、発展的な経験を私たちにもたらすことを教えてくれます。今の自分や教会だけのことを思って行動するのではなく、神の救いのご計画に思いを馳せながら自分の役割を果たすのです。そうすれば、神の愛を知り、満たしを受けます。

 神を愛することは、私たちを信仰の危機に直面させます。私たちは、自分でできる範囲の中に神の力を見出すことはできません。神のご計画は私たちのそれとは違います。私たちにできないことをなさるのが神の仕事です。そして、神は信じる者たちを通して働かれます(3:20)。そして、危機を恵みに変え私たちの生涯を導いてくださる方は神です。「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。」(ピリピ2:13)

 私たちの教会が人間の集りで終わるか、神の住まいとなるかは、私たちが危機に立った時、皆が一致して何を決断するかにかかっています。