2007年6月17日

「恵みの善き管理者」1ペトロ4:1〜11

 本日は「父の日」です。最近、お父さん達の威厳も存在感さえ薄くなってきたと言われていますが、聖書の十戒の中では人間関係の基準として「あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。」と教えています。世のお父さんを見る目はシビアです。「お父さんを尊敬するかどうかは、お父さん次第よ」ということでしょう。現代人は目に見えるもの、自分が納得し理解できるものは信じ、そうでないものは信じないばかりか恐れなくなってしまいました。「父母を敬う」ことは、ひいては自分自身と人との命の尊さを知ることにつながります。父母を敬うことは人の作った道徳ではなく神の摂理なのです。

 人は何のために生まれ、何のために生きているのか知ることは大切なことです。私たちは普段、目の前の生活ばかりに一所懸命で、生きる意味など考える暇もありません。でも、人生に行き詰まった時、試練に遭った時、苦しみに出会った時、深く考えさせられるものです。そればかりか、自分が得たものや持っているものの使い道についても本当に考えさせられます。ペトロは、そんな時こそ自分が知らなかった価値ある人生に気付くチャンスだと言っているのです。それは、

 第一に、新しく生まれ、生き生きした希望が持てるチャンスです。「見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」(ローマ8:24)、そしてその信仰は私たちを欺くことがない(5:5)とパウロは言います。

 第二に、生活のすべての面で聖なる者になれるチャンスです。聖なる者とは聖人君子のことではありません。聖としてくださる神にへりくだって近づく者のことです。自分の力では清く正しい者にはなれませんと正直になれる人です。神を信じシンプルで落ち着いた生活(1テサロニケ4:11)をする人に聖なる神は近いのです。

 第三に、さまざまな賜物、すなわち生まれついて与えられた個性や才能、働いて得たものの使い道を知るチャンスです。信仰による捧げる生活は、深い心と魂の平安をもたらします。クリスチャンにとっては福音も賜物、使い道は豊かです。

 更にパウロは言います。「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。(ローマ8:32)」私たちが惜しまずこの世のものを管理しやりくりしていくなら神は思ってもいなかった意味ある人生を誰にでも惜しみなく与えて下さいます。