2007年6月3日

「主の家を建てる者」歴代史上28:1〜10

 イスラエルの国が神殿を建てたのはダビデ王の子、ソロモンの時代でした。それまで彼らは天幕に住み、ダビデはエルサレムを王の町としました。しかし、神の家の建設はそれを願ってやまなかったダビデによりませんでした。主の言葉によれば戦いに明け暮れたダビデではなく、その息子のソロモンに建設の使命が与えられたのです。それは、ソロモンが父ダビデよりも正しく清い人、罪の無い人だったからではありません。その証拠にソロモンは神の前に罪を犯し、神ならぬ神を礼拝する背信を犯したのです。その結果は王国の分裂でした。

 主の家を建てる者は主自らが選ばれたものです。その人は全き心と喜びの魂をもって神に仕える者です。何故なら神は私たちの全てを知っておられる方だからです。パウロが言うように神の前に正しい者はいない(ローマ3:10)のです。そこで大切なことは、ダビデのように大きな働きをすることでも、ソロモンのように知恵多き人になることでもありません。私たちの欠けを補ってくださる神の恵みと慈しみに生き、霊と真とをもって神を礼拝することです。イエスは一人の律法学者の「『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」との答えを喜ばれました。

 神は、私たちが自分の力によって救われることや神の前に誇れる人になることを望んでおられるのではなく、イエスさまの十字架の前に低くされる人を求めておられます。神は十字架を通して、私たちの人生の消してしまいたい失敗や捨ててしまいたい弱い部分を補い、助け合う人々を通して神ご自身の神殿、すなわちイエスさまを頭とする教会を建てることを望んでおられます。

 イエスは言われました。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」(ヨハネ2:19) 神は、イエスさまを通して救われた全ての人々を主の神殿を立てるために選んで下さいました。共におられる主を信じて勇気をもって会堂建築と信仰の建築に向ってまいりたいと願っています。