2007年5月27日

「聖霊下る」使徒言行録2:1〜13

 ペンテコステ(聖霊降臨)の出来事は、教会の成立と働きが人間の力(意思や願い)によるものではなく神の力(愛と恵み)によるものであることを明らかにしました。洗礼者ヨハネが「その方は、聖霊と火とであなたたちにバプテスマをお授けになる。(マタイ3:11)」と預言した通り、約束の聖霊は心を一つにして集まっていた者たちに下りました。聖霊降臨の日は、私たちに約束されたものを信じて待ち望むことの大切さと、信仰は外面的な変化と内面的な変化をもたらすことを教えてくれます。

 聖霊は外面的なものとして、私たちにさまざまな賜物を与えます。エルサレムの信徒たちは聖霊を受けたとき、それまで話したことのない外国語で主を証ししました。「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。語る者は、神の言葉を語るにふさわしく語りなさい。奉仕をする人は、神がお与えになった力に応じて奉仕しなさい。(1ペトロ4:11)」とのペトロの言葉は私たちの多様性が主にあって一つとなるとき、周りに大きな変化をもたらし、広がりを与えることを教えます。その力は、互いに仕え合うこと、赦しあい愛し合ううことによって最大の力となります。

 聖霊は内面的なものとして、私たちに人格的な品性を実らせます。「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。(ガラテヤ5:22)」。聖霊が私たちに第一に教えて下さることは、罪の自覚とそれによって与えられる赦しの恵みです。み霊(タマ)の実は、神の愛の見える形であり私たちの品性を作り上げていくものです。パウロは「わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなるのです(1コリント)。」と語りました。聖霊を悲しませず(エフェソ4:30)、逆らうことなく(使徒7:51)主イエスの似姿に変えられていきたいと願っています。