2007年4月15日

「落ち着いた生活」1テサロニケ4:9〜18

 天気予報に「お天気は上り坂」という表現はないのだそうです。人生はそう楽しいことばかりではないので調子の悪いときを標準にした方が何かと落ち込まなくても良いし、「下り坂」というような消極的な表現の方が多くあるのではとのことでした。私たちは毎日、良いこと、悪いことが混ざり合った経験の中に生きています。自分に都合の良いことがあった日は幸せの日、そうでなかった日は不幸な日と、出来事によって私たちの幸せは左右されてしまいます。

 古代ギリシャ文化の影響をうけていたテサロニケのクリスチャンは福音を聞いたとき、人が救われるのは人間の努力や行いによってではなく、神の憐れみと恵みによるのであることを信じました。だから逆に、熱心な伝道が必ずしも報われないことを認め、目先のことで失望しないで生きる模範的な人々でした。状況に左右されないで神にある幸せを信じて生きる立派な人々でした。

 しかし、そんな彼らも苦労に苦労を重ねるうちに信仰を支える希望が「直ぐなるイエス・キリストの再臨」になり、生活の基準も世間の人と同じようになっていきました。当時の上流社会の人々、一部の下層階級の人々にとって耕作以外の労働とは品のないことであり家事雑用は奴隷の仕事でした。また、人に借りを作らないために人に頼らないことが美徳であり彼らの誇りだったのです。そんな基準に戻ろうとしてしまった彼らに対し、パウロは勧めました。「落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい。」

 それは、@地に足のついた生活、すなわち私たちの命も生活も神のみ手の中で守られていることを確信し、A実直に、ぶつぶつ言わないで自分の分をわきまえ、感謝して生きることを勧めたものでした。生活に根ざさない信仰はもろいもの、根の無い切花のようなものです。また、信仰のない生活は空しいもので、電線に電気が流れていないようなものです。信仰の励ましは、イエスさまがいつ私たちを苦しい現実から救ってくださるかという時間的な問題ではなく、信じて生きる時主が苦しみの中に「今」生きておられることを確信するところから与えられます。いつも喜び、絶えず祈り、全てのことに感謝して生きたいものです。