2007年2月18日

「へりくだる者は高められる」 ルカ福音書18:9〜14

 私たちは毎日の忙しさの中で、自分の事や自分の立場でしか物事を考えられなくなってしまいがちです。自分では正しい事をしているつもりでも、実は相手を傷つける事になっている事があります。特に人との交わり(家族、友人、職場)が破壊される原因に、私たちがあまりにも自分という者に固守する事があるからです。そこで今日は、私たちが「へりくだる者」になるために大切な事を次の三つのポイントからを見ていきたいと思います。

@「自分に固守しない心を持つこと」

 今日の聖書にはパリサイ人と徴税人の二人が出てき神に祈ります。パリサイ人の祈りは「神様、私はほかの人たちのように、奪い取るもの、不正な者、姦淫を犯す者ではなく、また、この徴税人のような者でないことを感謝します」更に「私は週に二度断食し、全収入も十分の一を献げています」一見、立派に思えるこの祈りの姿が、神の前では不正とされたのです。彼は自分の事で一杯で「私は、私は」と繰り返し、他人と比較し自分は正しい者であると主張、彼はなぜ自分に固守したのか?彼の中には絶対的な基準(神)がなかったからです。

A「へりくだった心を持つこと」

 もう一方の徴税人の祈りはどうだったでしょうか?「遠くに立って目を上げようともせず、胸を打ちながら言った。神様、罪人の私を憐れんでください」13彼の中には神という絶対的な基準がありました。その基準に自分を合わせたとき、徴税人は神の前にへりくだり「私を憐れんでください」としか言えなかった。私たちも神の基準を持ち、その基準に合わせるなら、誰に対してもへりくだり、決して高ぶる事はできないはずです。

B「隣人を思う心を持つこと」

 「何事にも利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分より優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさ、互いの事を心がけなさい」フィリピ2:3と言われているように、自分の事だけを考え、相手に対して見栄をはったり、見せ掛けの気持ちで隣人に接するのではなく、心からへりくだって相手に接する事が大切です。へりくだる事は決してぺこぺこする事ではなく、自分が神によって生かされている者であり、その恵み(十字架)によって存在している事を覚え生きることです。