2007年2月11日

「神の前に闇と呼べるものはない」 ヨハネ福音書3:1〜6

 主イエスのもとに一人の人が来ました。名前はニコデモ、ユダヤ人たちの議員であり、また彼らを導く教師でもあった。彼はこの世の光である、地位、権力、名誉、富、才能を備えた立派な人でした。そのような人がなぜ夜の闇の中に身を隠しながら、こっそりとイエス様のもとを訪れたのでしょうか?一般的にはニコデモは議員という立場上、人目を避けたのだろうと言われていますが、本当にそれだけの理由でしょうか?そこで、夜にイエス様に会った事の意味を、もう少し深く考えながら、次のポイントを見ていきたいと思います。

@「闇である夜も神のご支配の中にある」

この世に昼と夜があるように、私たちの人生にも昼と夜があります。物事が順調に進んでいるときは明るい人生ですが、反対に、途方にくれ出口が見当たらないときは暗い夜のような人生です。そのような中でもっとも深い暗闇は何か、今、助けて欲しい時に神がいないこと、私を救ってくれる神が見えないことです。しかし、聖書に「神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた」(創世記1:5)とあるように、私たちが忌みで嫌う闇の夜も神が創造され、また神のご支配の中にあることを教えています。

A「闇の夜で主イエスに出会う」

皆さん、主イエスの誕生を思い出して下さい。主がお生まれになったのも夜、羊飼いや、占星術の学者たちが主イエスに出会ったのも夜です。また、主イエスが十字架につけられたとき、昼の十二時に全地が暗くなった。その中で主イエスは神のご栄光を表されました。その場にいた百人隊長や見張りの人々は「本当に、この人は神の子だった」(マタイ27:54)と告白をしました。彼らは闇夜の中で主イエスに出会ったのです。

B「主イエスとともに生まれ変わる」

私たちは今まで、自分を輝かせようと一生懸命に世の光を追い求めてきました。だが、いつの間にか闇の夜に包まれ、自分の輝きを失っていました。しかし、主イエスと共に歩む人生が私たちを変えてくださった。私たちの為に十字架で死に、また復活してくださった主イエスを信じるとき、昼も夜も関係なく、私たちは神の愛と恵みが支配する中で生きることが出来るのです。「わたしは言う。闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も昼も共に光を放ち、闇も、光も、変わることがない」詩篇139:11−12