2007年1月14日

「空しい人生を送らないために」 ヨハネ10:7〜11

 喜びは生きる力を与えます。喜びを得られるのであれば善であれ、悪であれ人はそれを手に入れようとします。そして目の前の喜びを得たら、次なる喜びを探し求めます。しかし、次なる喜びを見つけられなければ空しさを覚えたり、生きがいを感じなくなってしまいます。この事を実感している人は多いと思います。人は空しい人生を送らないためにも、多くの物を得ようとするのです。

 旧約聖書にコヘレトの言葉があります。この中で著者は人生を観察した結果あることに気がついたと言います。それは、人生とは矛盾と謎に満ちており、何よりもこの世の全てが空しいと言うのです。コヘレトは自分が望む全ての物を手に入れ、喜びだと思われることも全て行った。そこで思ったことは、人生とは何と空しいものか。

 コヘレトは最後に次のように言います。「すべてに耳を傾けて得た結論、神を畏れなさい」12:13(恐れるというより創造主を覚える)つまり、この世にどんなに喜びを求めても、神を知らない人生は全てが空しいと言ったのです。空しいとは、形だけで中身がない、確実ではない、頼りにならないことです。「主なる神は土の塵で人をかたちつくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きるものとなった」創世記1:6 とあるように、神と共に人は生きるのです。神は空しい人生を送るために人を創造されたのではありません。全ての人が神様から必要とされ、愛されて生きるためなのです。

 そこで私たちがこれから空しい人生を過ごさないためには、良き羊飼いに導かれること、良き羊飼いは羊の世話をし、飢え乾くと水場に連れていって水を飲ませ、疲れると青草の生えているところに連れていって休ませてくれる。さらに狼から羊を守り、羊のために命まで捨てる。それほど羊を愛している。この繋がりから離れてしまったとき羊は道に迷い、飢え、力つき、羊として生きていくことが出来ない。

 良き羊飼いとはイエス様で、羊は人間です。良き羊飼いであるイエス・キリストの導きに従うことが、空しさから喜びへの道であり、そこに神様が喜ぶ者として創造された本当の人間の姿、また生きる道があるのです。人がその道を信じ信頼し歩むとき、それが辛いときでも、苦しいときでも、悲しいときでも、また、空しいときでも、その全てが意味のある人生となるのです。この新しい1年も、ともに支え合いながら、祈り合いながら、神様を信じて、期待し、従って生きたいと思います。