2006年12月31日

「私を呼べ」 1コリント9:19〜23

 早いもので、今年も終わろうとしています。今年一年を振り返り、神の恵みを数え、悔い改めへと導かれることは私たちに相応しいことです。そして、教会の交わりを新しい年へのチャレンジとしてつないでいきたいものです。

 教会:明るい、自己犠牲への挑戦 パウロは「だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。」と言いました。それは、この世の自由や権利を放棄し、キリストにある義務と責任とを喜んで担うということでした。そこで得られる希望と喜びはこの世で得られる自由や権利以上のものを私たちにもたらします。奉仕とは喜びへの扉ですが入り口は暗いものです。

 教会:明るい、神との対話(祈り)への挑戦 パウロも完全な人ではありませんでした。神の全能と権威とを捨て十字架に死に、復活したキリストとの出会いにより彼は自己否定の危機を乗り越え伝道者へと変えられていきました。そして、想像を越えた困難に直面したのです。苦しむ彼を支え成熟へと向かわせたのはイエスさまと同じ、率直な神との対話、祈りでした。滅亡に向っていたイスラエルの民に主はエレミヤを通して命令されました。「わたしを呼べ。わたしはあなたに答え、あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる。」神は必ず応答して下さる方です。そして、隠された計画を持っておられます。毎日のみことばとの出会いと祈りが私たちの霊を成熟させます。

 教会:明るい、神信頼への挑戦 信仰者の成熟への深刻な障害となっているのは、自らの問題を神の元に持っていかないことです。問題解決やビジョンの実現は神の双肩にかかっているのではなく私たちの、神への態度にかかっています。「様子を見て態度を決めよう」ではなく、全てを支配しておられる神を信じる所から私たちは成熟していきます。「急いで出る必要はない、逃げ去ることもない。あなたたちの先を進むのは主であり、しんがりを守るのもイスラエルの神だから」(イザヤ52:12)。全ての責任と義務を先に負い、果してくださったのは主なる神です。そして、この一年、私たちの歩みを守って下さったのも神です。「この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。」(申命記8:4)荒野をさまよったイスラエル人の実生活は神の約束通り守られました。そんな頼り甲斐のある神が「わたしを呼べ」と求めて下さっています。主は新しい年もまだ見ぬ出来事を通してチャレンジしておられます。