2006年12月24日

ショートメッセージ@ マタイ福音書1:18〜25

 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。

 ◎神のわざは、人間にとって災いや試練として見えることがあります。 

「明らかになった」ことは二つあります。ヨセフにとって苦しみとなる出来事が起きたことと、神がその愛を現すために人間と同じ肉体を持たれたことです。

人は自分の願いを実現するために神を信じようとします。しかし、神は身の回りの出来事を通して目に見えぬ神が共におられることと、人が神に信頼することを求めておられます。


ショートメッセージA マタイ福音書2:1〜6

 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」

 ◎神のわざは、この世の小さな者、脇役と思われる人々や場所から始まります。聖書の神は、他の宗教を否定したり、占いを禁じたりする厳しい神だと思われがちです。しかし、救い主の到来が最初に知らされたのは、東洋の占星術師たちであり、救い主誕生の場所は首都圏ではなく地方の片田舎ベツレヘムでした。強がりを言わず、へりくだってイエス・キリストを受け入れるとき、神のわざが私たちの内に始まります。


ショートメッセージB マタイ福音書2:7〜12

 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

 ◎神のわざは、人間の力に先立って現されます。
人の救いに先立つのは、私たちの良い行いではありません。神が求めておられるのはこの世の宝ではなく、あなた自身の真心です。そして、先立つ神の憐れみと慈しみをまず受け取ることです。私たちが先に神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、御子を下さいました。ここに神の愛があるのです。


メッセージ「世のあがないのために」ローマ書3:23〜24

 人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。

 ◎神のわざは、人の心を自由にします。

 人は、意識的であれ無意識であれ他者から愛され受け入れられていると確信する時、心に勇気を持ちます。そして、心が動くようになります。人はまた、憎しみや怒り、罪悪感や負い目から解放される時、心が自由になり他者を愛しむようになります。それを和解と言います。

 ◎神のわざは、人の魂を自由にします。

 人は、肉体の死から解放されることを本当は望んでいます。「罪」とは「自分は神さまの手助け無しに生きられる」と思い上がること、「神に期待しないで自分や人に期待して生きる」ことです。神との正しい関係にあることを平和と言います。

 ◎神のわざは、人を義(神の心にかなった者)とします。

 神は世のすべての人の罪をあがなう(償う)ために、イエスを与えて下さいました。それは、神の栄光(神との正しい関係)を受けるためでした。それを、幸いと言います。神はすべての人が神との本来の関係を取り戻し、幸いを得るようにと、み子イエス・キリストを与えて下さいました。それが、クリスマスに明らかにされた出来事でした。