2006年7月16日

「大切なものはひとつ」 出エジプト記16:1〜3

 皆さんは急に止まってしまった電車の中で、「もうしばらくお待ち下さい」という言葉を聞いて、イライラさせらた経験をお持ちですか? もうしばらくとは、一体いつまでなのか明確な見通しが立たないと、私たちはイライラさせられます。

 出エジプト16:1−3。 ここで登場する彼らは神様によってエジプトから導き出された、助けられた人々です。しかも海を分ける奇跡で助けられた人々なのです。約束はされているけれども、何月何日か明示されていないために、見通しが立たず、イライラしてきたのです。私たちは、見通しが立たないと辛いのです。いつ私の病気が治るのか。いつ牧師が元のように戻ってくるのか。いつこの状況が打開されるのか。いつ新しい教会が建つのか。イスラエルの人々は聖書に書いてあるようにつぶやきました。私たちもまた同じように、つぶくやくのであります。

 出エジプト16:15−20。神様はマナをお与えになりました。一人一日分を与えると約束なさったのに、イスラエルの人々は心配で、それを蓄えておこうとしました。私たちはスペアがあると安心なのです。蓄えたおきたいのです。でも、神様は、必要な分は与えると言ってその通り私たちに与えて下さったのです。私たちには今、冷蔵庫があります。ガスコンロがあります。いつでもスイッチ一つでシャワーを浴びることもできます。携帯電話があります。メールもできて、たとえ海外でもいつでも連絡ができるようになりました。

 私たちは今、色々なものを手にすることができました。しかし、その分もしかすると失っているものも多いのではないでしょうか。私たちの周囲の品物を見て下さい。自然農法。有機栽培、天然物、・・・自然天然自然天然です。こんなにも文明が発達して、良いものがたくさん生み出され、人工のもので固められた家に住み、人工のものでできたものを身につけているのに、みんなが求めるものは、自然なもの、天然な物・・・これは一体どういうことでしょうか。

 星野富弘さんの詩にこういうものがあります。たんぽぽという詩ですが、「いつだったか きみたちが空を飛んで行くのをみたよ 風に吹かれて ただひとつのものを持って 旅する姿が うれしくてならなかったよ 人間だってどうしても必要なものは ただ一つ 私も余分なものを捨てれば 空を飛べるような気がしたよ」

 大切はものはただ一つです。私たちは欲しいものは、たくさんあります。実現して欲しいこともたくさんあります。でも、大切なものはただひとつです。見通しがつかず、イライラする私たちです。もっとたくさんのものを蓄えておきたい私たちです。でも、大切なものはただ一つ。そのただ一つのものを求めて、私たちはたとえ見通しはつかなくても、確信を持って歩み続けたいと思います。