2006年7月9日

「命の泉」 箴言4:20−23

 初めに、この箴言は今から約2300−2700年前に書かれたと言われています。箴言をはじめ聖書を読むときに、当時の人々も今と同じように、病に苦しんだり、争いによって傷つけあったり、困難もたくさんあり、また社会は不正にまみれ、誘惑も多く、迷いと不安が人々を襲っていたことが分かります。今日の御言葉は、そんな時代の中で、いかに冷静に平和に、そして人間らしく生きるかを教えようとするものであります。箴言は人生訓のようにとらえがちですが、そうではなく、信仰による生き方の教えであることを覚えておきたいと思います。

 さて、よく健康なときは何を食べても美味しいと感じられます。水を一杯飲んだ時でさえ美味しく感じられます。反対に健康が思わしくない時は、何を食べても美味しく感じられず、何をするにもうっとうしい気持ちになってしまいます。そして、これは体だけの問題だけではなく、私たちが自分の生き方に張り合いを感じられなかったり、何をやっても満たされない思い、そのような時には心の健康に危険信号が点滅していると考えたほうが良いと思います。最近、社会では痛ましい事件が相次いで起きていますが、どれを見ても心は決して健康な状態ではなかったと思います。では私たちの心はどうでしょうか、今一度、見つめ直してみる必要があると思います。何故ならば、心こそ私たちの命の泉であり、私たちの真の人生はここから流れでるからです。私たちの体は見て、触って、また精密機械を使えば体の中まで見る事ができ、悪い所もすぐに判断ができます。

 しかし、心は見たり触ったり、また精密機械を使っても見る事は出来ません。故に見えない心の健康はいつも後回しになってしまうのです。今日の御言葉の中に「何を守るよりも、自分の心を守れ、そこに命の源がある」とあります。私たちにはそれぞれ守らなければならない物がたくさんあります。例えば家族、肉体的な健康、また今まで一生懸命努力して勝ち取った地位や名誉や財産などいろいろあります。それらを守ることは大切なことです。

 しかし何を守るにもまさって心の健康を守ることが大切だと言われます。当たり前のことですが、私たちは水がなければ肉体の生命を維持する事ができません。それと同じように、心にも水がなければ生命を維持することが出来ず、私たちの心はいつも飢え乾いてしまいます。そのような心はいつも不健康な状態にあり、最後には心の破滅へと進んでいくのです。では、私たちの心の泉がいつも美しく、豊かに保つにはどうすれば良いのか、それは絶えず水を汲み上げることです。流れの止まった水はいつもよどんで最後には悪臭を撒き散らします。故に自分の心をまず守りなさいと言われるのです。他人ではありません。自分です。そして何よりも汚染されていない綺麗な水を飲むことが大切であります。その綺麗で生きた水はどこにあるのでしょうか?

 イエスは「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が湧き上がるであろう」ヨハネ4:14 神様は聖書を通して私たちに魂の糧を与えて下さるのです。私たちの心の泉の中に生きた水がどんどん入ってくると同時に、その人の内から喜びとなって湧き出てくるのです。その生きた水が私たちを内側からつくりかえて下さるのです。それが健康な心の状態なのです。森の中にある泉を見てください。そこから湧き出た水は周囲を潤し、回りの木々を生かします。もしその湧き出た水が汚染されていたら、回りを生かす所か殺してしまいます。同じように私たちの泉から出る生きた水によって周囲を生かす事が出来るのです。ですから、何を守るにもまず自分の心を守ることなのです。あなたの心から生きた水が流れ、それが回りの人を潤すのです。