2006年6月4日

「土の器に納められた宝」 コリントの信徒への手紙2:4:1〜18

 私達は6月17日にアメリカに発つため、このメッセージは青葉キリスト教会での最後のものとなるでしょう。この教会は日本での私達の12年間にとって、大きな意味をなしています。私達はすべてのメンバーの方々に感謝しています。私達の子ども達は教会学校で多くのことを学び、また私達もこの体の一部として多くのことを学ばさせて頂きました。

 私達はメッセージのタイトルにある「土の器」そのものです。私自身パニック障害の周期的な発症との闘いとのため、己の弱さを自覚しています。そして、そのような状況を理解しようとする方々から慰めを受けてきました。第2コリントの1章の中で、パウロは「神はあらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。」と語っています。この箇所は青葉キリスト教会が傷ついた人々にどのように関わってきたかということと深く関連があるところです。

 日本で伝道をすることの難しさから、どうすればいいかと考えあぐねてしまいそうになることがあります。しかし、厳しい時代に生きたパウロはキリストを伝えることをやめようとはしませんでした。信仰によってキリストを受け入れ、洗礼を受ける人々を見る時、私達は喜びます。事実、一人がクリスチャンになる時、天上では天使達が喜ぶのです。

 伝道する際に祈りは重要なものです。私達も6年間住んだアパートの住民のためにずっと祈っていました。しかし、長いこと一握りの人しか霊的関心を持ちませんでしたが、その内の一人がオリーブ会に来るようになり、多くの人を招くようになったのです。「土の器」、それは何故そう言われるのでしょうか? それは明らかに栄光は私達ではなく、イエスに帰するということによるからです。

 私達が「土の器」であることが明らかになればなるほど、主は教会に多くの人を招くために私達を用いられました。驚くべきことに、自らの弱さに正直である時、より深い会話が繰り広げられるようになったという経験を何度もしています。また、この教会が心の病や様々な問題を持った人々を温かく受け入れきたこともあり、人々を招きやすかったことも事実です。是非、同僚や近所の人々、友人や見知らぬ人に伝道できる大胆さが与えられるよう祈りましょう。

 私達は、仕事で忙しい一日を過ごしながらも水曜日の祈りの会に毎回来ておられる方々や、多くの責任を負いながらも執事を務めておられるお一人おひとりに感動し、感謝しています。私達は小田先生が活動を休める必要がある時に教会がいい形で、伸びようとしているのを見るのは、喜ばしいことだと思っています。12年前には教会学校もありませんでした。しかし、今は素晴らしいプログラムがあり、キリストの体の器官一つひとつが何かを捧げようとしています。

 聖書は私達をこの章で「土の器」と呼び、次の章では「キリストの使者」と呼んでいます。「土の器」という神から与えらたもろさと、「キリストの使者」というクリスチャンとして果たすべき大役のバランスは神だけが可能にしてくださるものです。

 日本で過ごした日々、この交わりに加えられ、私達は祝福を受けました。そして、皆様方すべてが神の哀れみと恵みを受けられますよう祈ります。