2006年4月2日

「神の秘められた計画」 エフェソの信徒への手紙3:14〜21

 “こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

 恵みを先取りする信仰は人生に大逆転をもたらします。今まで大切だと思っていたものがそうではなく、見えなかった心の世界や愛することに価値があることを見出します。美しい文体で書かれたエフェソの信徒への手紙は、神の秘められた計画について語ります。 カイザリアかローマの牢獄でこの手紙を書いたパウロは、牢の外にいる人よりも自由で、束縛されているのに解放されている人でした。それは、パウロがカイザルの囚人ではなくキリストの囚人、自由の囚人であったからです。恵みに生きるパウロにとっての神の秘められた計画(奥義)とは、選ばれた神の民イスラエルと異邦人とを主イエスの十字架によって一つとする計画でした。それは、福音を信じた者全ての者がキリスト・イエスにおいて、約束されたものを一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となることでした。以前の信徒の姿は、自分の過ちと罪のために死んでおり、神の怒りを受けるべき存在(2:1)、神から遠い存在(2:13)でした。しかし、今はキリストと共に復活し、天の王座につかせていただいた者、神に近い(2:13)存在なのだとパウロは言います。

 人が他者と和合し生きていくことは難しいことです。今に生きる私たちにとっての神の秘められた計画とは、互いに相容れない私たち心を一つとするためにイエスさまを与え、敵意という隔ての壁を取り壊し二つのものをご自分において一人の新しい人に造り上げられることです(2:14)。その新しい創造の業がもたらされるために必要なことは、「栄光に従い、霊により力をもって内なる人が強められること」「信仰によって心の内にキリストに住んでいただくこと」「愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者って行動する者になる」ことです。この世にあって「神の家族」となっていくことを願う私たちの教会は、内なるものが満たされ、強められ、祝福されて一つの体として機能していくのだと思います。バラバラだったものを一つにし、新しい共同体を造るために神はみ子イエスを私たちにお与えになりました。そのイエスさまの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどのものかを自分以外の人々との関係に生きることを通して私たちは知って歩むのです。神のもう一つの秘められた計画、それは人の知識をはるかに超えるキリストの愛を知り、神の満ち溢れる豊かさのすべてにあずかり、それによって私たちが満たされた者となっていくことです(3:19)。