2006年1月29日

「困難に打ち勝つ力」 マタイ14:22〜33節
 
 ガリラヤ湖は、湖面が地中海よりも200メートル以上も低く、周りは山々に囲まれており、岸辺では波静かであっても、湖の中央部では舟を呑み込むほどの嵐になる場合があるようです。イエスさまは嵐の危険が予想される湖に強いて弟子たちを向かわせました。行く手には、困難や危険があることが予想されました。しかし、イエスさまはそれも承知で、弟子たちを舟に乗せたのです。イエスさまは、私たちに平穏な道を歩かせるとは限らないのです。実際、弟子たちは、イエスさまのことばに従って舟に乗り、嵐に遭遇しました。このことは、私たちがイエスさまのことばに従って歩んでいても、なお様々な困難や試練に襲われることを示しています。弟子たちは、夕方過ぎから明け方まで漕ぎ続け、嵐と格闘していたので体力は限界に達し、死の恐怖におののいていたと思います。しかし、弟子たちは、イエスさまに祈り、助けを求めることはしていません。このような状況で助けが来ることなど思いもよらなかったのです。にもかかわらず、イエスさまは私たちの常識をこえて助けに来てくださいました。ところが、弟子たちは「幽霊だといって怯え、恐怖のあまり叫び声を上げ」ました。イエスさまはすぐに「安心しなさい、私だ、恐れることはない」と語りかけてくださいました。

 イエスさまは困難、試練の中にある私たちに、いつもこのように語りかけてくださいます。箴言16:3に「あなたの業を主に委ねれば、計らうことは固く立つ」とあります。どんな困難を覚えたときにもこの神さまの語りかけが私たちに与えられていることを忘れないで、主に委ねて歩みたいと思います。ペトロは、水の上を歩いてこられたイエスさまを見て、「そうだ私の救い主はイエスさまだ」と改めて気づきます。自分も水の上を歩いてイエスさまのそばにいきたいと思い「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください」と、お願いします。すると、イエスさまはたしなめることはせずに「来なさい」といわれました。そして「ペトロは舟から下りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、『主よ、助けてください』と叫」びました。主を信じ、信頼し委ねていくとき、何事もすることが出来たのに、少しでもイエスさまから心が離れるようなことがあると、その途端におぼれそうになったのです。ペトロはすぐに「主よ、助けてください」とイエスさまに助けを求めます。イエスさまはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われました。しかしきつくしかるというよりむしろペトロの手をしっかり握り「もう恐れることはない、心配いらない」と言葉をかけながら、一緒に水面を歩いて舟に戻ったと思います。

 私たちも主に信頼しています。しかし、ふっと、主を忘れて、思い煩いや、不安、心配事が頭をよぎる信仰の薄いものです。それでも主は共にいてしっかりと手を取ってくださるのです。「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。(第1コリント10:13)」と試練に打ち勝つ力を与えてくださいます。

 また「主は倒れようとする人をひとりひとり支え、うずくまっている人を起こしてくださいます。(詩編145:14)」私たちは倒れます。うずくまります。人には限界があります。どうしようもなくなったとき、神さまはその困難に打ち勝つ力を与えてくださいます。ひとりひとり支えてくださるのです。私たちのそばにいてひとりひとりの名前を呼んで起こしてくださいます。その主にすべてを委ね、信頼して歩んでまいりましょう。