2005年12月25日

「信じる者すべてに」 ローマ書1:1〜7

 “キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、―この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。―神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。”

 使徒パウロは、キリストの十字架による罪の贖いと救い、復活による赦しの業を大胆に宣べ伝えた人として知られています。しかし、イエスさまのご降誕について彼は関心がなかったのでしょうか?いいえ、彼はローマ書にて明確に主イエスさまが聖書にある約束の通りダビデの子孫として生まれ、しかも普通の生まれ方ではなく、聖霊によってお生まれになったと語っています。マタイ福音書1章によればマリアの受胎に悩むヨセフに対し、天使が「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」と語ったように、イエスさまは人として生まれた神の子であることを証ししています。

 クリスマスは人類への福音です。主イエスさまが聖霊によってお生まれになったように私たちも福音を信じる信仰により聖霊によって生まれ変わることができるという福音です。ヨハネ福音書3章でイエスさまが、聖霊により『あなたがたは新たに生まれねばならない』と言われた通り、神の願いは私たち信じる全ての者が救われることです。そして、イエスさまが「十字架の死」から復活され、新しい体の創造を示して下さった通り、私たちも新しい命に与ることができるのです。私たちは血縁関係(パウロの言う肉の業、良い行い)では決して救われることはありません。ただ、主イエスにある福音を信じることにより救われると聖書は語ります。

 そしてまた、クリスマスは「神の恵みの現れ」の時でもあります。「恵み」とは、価しない者に与えられる一方的なプレゼントという意味です。イエスさまの到来は、私たちに、あなたはもう「自分の力で頑張らなくていい」「自分の弱さを弁解しながら生きなくていい。」「ありのままで生きていていい」との指針を与えてくれます。「恵み」を現すへブル語ヘーンには、同情や憐れみという意味があり、その言葉は私たち人間の弱さに対する神の決意に基づく慈愛、セダケーへと深められていきました。しかし、パウロは決して人の努力やひたむきで誠実な生き方を否定している訳ではありません。「わたしは目標のはっきりしない拳闘はしない。」と1コリント9章で彼が言う通り、はっきりしない方向に歩むこと、裏打ち無き道に歩むことの空しさを警告しているのです。主イエスの到来により頑張ること、正しく生きることは救いの条件ではなくなり、イエスの恵みを受けて初めて「頑張り」は救われた喜びへのしるしとなるのです。「わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」(ローマ1:16)クリスマスの福音があなたに届きますように。