2005年10月23日

「TOUCH(主に触れる)」 ルカによる福音書 8:43〜48

 ハリケーンカトリーナの被災者の実態を把握するため、ワシントンポスト、カイザー 財団、そしてハーバード大学公衆衛生大学院は、ヒューストンの避難所に避難している人々に対して71項目の調査を実施しその結果が公表されました。その結果は驚くべき内容でした。被災者は黒人の貧困層。32%は年収が1万ドル未満であり、最終学歴も77%が高卒以下でした。約3分の1は自宅に閉じ込められ、その半数は3日以上救助を待ち、4割の被災者は、歩道や陸橋で1日以上過ごしました。約14%は、ハリケーンとその後の洪水で家族や近所の人、友人を 亡くし、55%は家が破壊されました。移動手段がないか、身体の不自由な家族がいてハリケーン前に脱出できなかった人は61%にのぼりました。49%は、政府やボランティアからの援助を得られず、自力、または隣人の力を借りて脱出しました。また、41%が心疾患、高血圧、糖尿病、気管支喘息といった慢性疾患を有し、3人に1人はハリケーンによってさらに健康が悪化しました。

 被災者の気持ちはどんなにか絶望の淵にいたことでしょう。政府の援助の手は来ない。身内の者を失い、自分の健康もおぼつかない。家を失い、保険もなく、将来に対する不安は大きく人々を覆っていたと考えてしまいます。

 しかし、将来に対する感情を表す言葉はという問いに対して、安心、感謝、希望という言葉に70%以上の方がYESと回答し、被災してから2週間を生き延びていく上で信仰の役割について、92%の方が重要だったと回答しています。そして、今回の被災の経験により信仰心に及ぼした影響として81%の人が信仰をさらに強くしたというのです。

 つまり多くの物や親族、友人を物理的に失ったが、主が生きてそばにいることを感じ、触れて、恵みと平安というパワーを得ているのです。

 私たちは、すぐそばにいる主に気づかない、触れることができないことが、なんと多いことでしょう。それは、世間の目、自尊心、優越感、自分のスタイル、親に教えられた価値観などに縛られ、意地、成功体験、実績などに固執しているからではないでしょうか。

 そこから抜け出すには、必要と思っているもの、当たり前と思っていることを吟味して捨てる勇気が必要なのです。一番大事なものは何かを考え、事の本質は何かを考える。以前の成功体験は通用しないと考え、常にゼロから考える。私たちは、心をゼロにして考えつくすとき、主の存在を身近に感じるのではないでしょうか。そして触れにいくことによりエネルギーを得る。物理の原理で作用と反作用は同時に起きます。主の恵みは信仰に基づく私たちの求めにすぐに応えられ注がれる。

 「イエスは、「だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行ったのを感じたのだ」と言われた。」(ルカ8:46) つまり、イエス様は常にそばにいてパワー満開・準備万端。あとは、私たちがそっと触れるだけ、なのです。私たちを縛っているものを少しずつ、解き放ち、光に向かう。そのために、過去に置き去りにしてきた重荷に主と共に光を当てる。主に触れ、私たち1人ではなく、主に支えられた私たちが未来に向かう。将来に希望を信じ歩むことができるのです。

 「わたしは絶えず主に相対しています。主は右にいまし、わたしは揺らぐことがありません。」(詩篇16:8)