2005年10月16日

「信仰の結果である魂の救い」 ペトロの手紙第一 1:3〜9

 『わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。』

 通説として、この手紙はローマ帝国の皇帝ネロの迫害下、散らされて行ったクリスチャンを励ますために使徒ペトロにより執筆されたものと言われています。主イエスの受難の日、主を裏切り見捨てたペトロが、迫害さえも恐れぬ信仰の人と変えられていったのは「生き生きとした希望」を与えられたからに他なりません。パウロはローマ人への手紙5章で「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達(新改訳:練られた品性)を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」と、私たちに生きる上で必要なものは「希望」だと語っています。しかもその希望を生み出す練られた品性は、神の豊かな憐れみにより主イエスの福音を信じる信仰により与えられるとペトロは言うのです。

 人は希望がなければ本当の意味で生きていくことができません。さまざまな試練の中で、それに耐え得る力を与えてくれるものは「希望」です。しかし、もしその希望が裏づけも確証も無く、この世限りの希望であるなら、私たちの魂を支えることはできません。神は事実、イエス・キリストを死者の中からの復活により、私たちに「生きている希望」を与えて下さったのです。そればかりでなく、永遠の命という財産をも準備して下さいました。試練の中にあり困難の中にあるとき、人は人としての品性を保つことは困難です。正しい行い、互いに愛し合う生活を守っていくことは、迫害のただ中にあったクリスチャンたちには不可能で出来るはずのないことでした。しかし、ペトロは聖書により「あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである」と命じ、希望こそがそれを可能にする力であることを証ししました。

 あなたの人生には希望があるでしょうか?そして、その希望は朽ちるもので出来たものでしょうか朽ちないものでできたものでしょうか?ペトロは言います。「あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。こう言われているからです。「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。(1:23-25)