2005年10月2日

「五つのパンと二匹の魚」 ヨハネによる福音書6:8〜15

 『弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。』

 先月24日、私達の教会がまだ伝道所だった頃、母教会として支えてくださった相模中央教会の牧師であった滝沢光隆先生が天に召されました。40年に及ぶ伝道生活の中で先生は多くの働きをしてこられました。そして先生が得たものは腎臓病と人口透析生活でした。先生曰くそれは「土の器にあふれる恵み」のうちの一つ、主よりの勲章だったのです。病を感謝として受けるには信仰が必要です。先生は以前、本日のみことばから、伝道所であった私たちの教会の礼拝でメッセージを下さいました。それは、前任教会の小樽教会や相模中央教会でも語られた言葉であり、それぞれの教会が新しい局面を迎えたとき、教会を支える信徒に向けた励ましのメッセージでした。

 イエスさまのことばを聞こうと集まった、男子だけで五千人という大群衆に食べ物を与えるという奇跡は、少年の「捧げる」という行為が引き金になって始まりました。彼にとって貴重な食べ物を主の前に捧げたとき、大群衆の前に「焼け石に水」と思えるわずかなものが有り余るものに変えられたのです。滝沢先生は言われました。「どんな小さな捧げものでも主イエスが受け取り、分けてくださるときに素晴らしいことが起こるのです。」そして、残りのパン屑を集めなさいと言われたイエスさまの言葉に「無駄にしない生活、これが感謝して歩む信仰生活です。」とも先生は語られました。

 「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。(マタイ6:33)」とのイエスさまの約束は、信じる者の生活の土台となるものです。私達が主の養いを信じ、力に応じて、力以上に、自ら進んで捧げる生活をするとき(2コリント8:1-7)、神は私たちの思いを超えた業を成して下さいます。神は私達の自発的信仰とそれに従った生活とを豊かに祝福して下さいます。それはある意味、信じる者たちの生活の中の信仰告白とも言えるものなのです。「各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。(2コリント9:7)」とパウロが語る通り、私たちが自分の思いを捨てて主に捧げて生きるとき、主は主の業を成して下さいます。滝沢先生はその約束を信じ、生涯を主に捧げ、病を感謝に変えて下さる主に栄光を帰されたのだと信じます。感謝し、捧げる信仰生活を通して主の恵みを体験して生きて行きたいものです。