2005年9月18日

「内なる戦いへの備え」 エフェソの信徒への手紙6:10〜13

 『最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。』

 先週、私は二人のクリスチャンにお話を聞く機会がありました。お一人は、福音を知り、クリスチャンとなったにも関わらず、ご主人の無理解によるキリスト教への反発を買い、教会に集うどころか、長男の嫁として毎日仏壇に向かい先祖供養を強いられて生活している人です。また、もう一人の人は、愛する家族を失い、その死を通して神に疑いをいだき、この世の常識や人情の世界に生き始めた人でした。その人は、立派に謙虚に生き、何も悪いことをせず亡くなった家族がどうして過酷な病気になり、若くして死ななければならなかったのかという疑念に捕らわれたのです。信仰を守るということは並大抵なことではありません。人は外から内面から揺さぶられ、その信仰が試されるのです。前者は迫害による信仰の危機にある人、後者は試練による信仰の危機にある人と言えるでしょう。使徒パウロの祈りと望みは、そんな弱い私たちに向けられています。「どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。(1:17-19)」パウロの関心は、神を信じる者の目線が何処を向いているかということです。頭で捕らえた信仰は、頭(この世の知恵知識経験)によって壊れていきます。しかし、神の恵みによって受け入れた信仰は、迫害や試練に翻弄され続けることはありません。

 使徒パウロは内外にある誘惑に備えが必要と語ります。当時のローマ兵の武装をたとえに、内なる戦いへの備えを勧めます。まず、帯によって全身が引き締められます。それは神の真理、すなわち神についての正しい知識、福音の真実、聖書のことばを知ることにあります。また、胸当てとは神の正義、神のへりくだりを身に付けることです。そして、足には平和の福音を告げ知らせるための靴、すなわち人生における本当の使命を履くということです。また、自分の力による信仰ではなく、恵みの信仰を盾とし、この世の価値や道理に翻弄されてはなりません。そして、大切な頭(司令塔)を守るために、救いの確信という兜をかむり、全身の働きを支える必要があります。そして、唯一攻撃の武器は相手を傷つける武器ではなく、生かす神の言葉、聖書の言葉です。私たちの生活、人生はさまざまな誘惑と思いもよらない出来事に満ちています。しかし、神は私達に神ご自身とその約束とに目を逸らさないよう願っておられます。『神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。』(ヤコブ4:8)