2005年7月3日

「一つの体として」 コロサイ書3章12節〜15節

 「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」

 パウロの獄中書簡の一つといわれるコロサイ人への手紙は信仰による一致と、信仰に立つ生活のあり方の大切さを今生きる私たちにも訴えます。キリスト教の信仰は死から蘇ったキリストと、その目撃者たちの証言を土台としています。イエスさまの受難の際は裏切った使徒ペトロが「神はイエスを死者の中から復活させてくださいました。私たちはそのことの証人です。(使徒3:15)」と告白し、クリスチャンを迫害していたパウロが復活のイエスに遭遇し、偉大な伝道者となっていった通り、復活の事実は神による人類救済の計画の土台となっています。小アジアの一地方都市コロサイに誕生した教会、そして近隣のラオデキヤ教会に対してもパウロは、どちらつかずの信仰に生きる人々に対し励ましを与えました。「それは、この人々が心を励まされ、愛によって結び合わされ、理解力を豊かに与えられ、神の秘められた計画であるキリストを悟るようになるためです。知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。」

 パウロの願いは、神の豊かな宝を受け損なうことのないようキリスト者と教会がその使命に生きるようになることでした。それは、信仰の一致、キリストと共にある調和に生きることです。教会は不完全な者達の集まりです。神はそんな不完全なものをキリストにあって一つとなし、主の救いの計画のために尊く用いてくださる方です。主を信じる者たちはその希望に立って、不完全である教会を愛する決心をする必要があります。自分が納得し満足出来る理想的な教会を求め目指してもそれは徒労に終わります。意見や方法、考え方による一致を求めても一つにはなれません。

 パウロは薦めます。「さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。(3:1-3)」互いに主イエスにあって自分に死ぬ時、そこに主にある一致が生まれます。そして、愛こそが自分に死に、人を赦すことのできる力を与える源であり、すべてのことを完成させる絆です。主イエスは赦すことのできない者たちのために、一致できない私たちのためにも十字架に死に、私たちをつなぐ絆となってくださいました。