2005年3月13日

「小さな幸せ、大きな祝福」 ヨブ記 22:21〜28

 子供の時の幸せの思い出や感情・感触を、「情景」 「味」 「香り」 「音」の四つの観点から分かち合う機会がありました。故郷の海岸を犬の散歩で走った情景。海沿いの故郷の新鮮なお刺身とスダチ。雪を踏み固めて理想の豪邸を作った日のこと。恐る恐る板を沈めながら慎重に入った五右衛門風呂。夏の草いきれの中で、ばったやトンボを網で捕まえたこと、等等。それぞれの思い出はありふれた日常に起きる事柄ですが心に大きく残っています。すべての人にある幸せな思い出。これは私たちすべてが戻ってよい、戻るべき原点です。それは神様からの秘密のプレゼントではないでしょうか。小さくてささやかな幸せは、物質的経済的な満足感を排除した真の意味の満たしでしょう。

 しかし一方で大きすぎる幸せ感(例えば高額の宝くじやスロットマシンで大当たりした時)は人を傲慢にすることがなんと多いことでしょう。

 ヨブ記は、「幸福とは何か」ということに関する永遠の課題を提起し解き明かします。

 ヨブは、非常に裕福で幸福な人でした。このヨブをねたんだ悪魔が神にヨブを試みることを願って許され、悪魔は彼の財産や息子、娘たちを奪い、ヨブの全身を重い皮膚病にしてしまいました。

そしてヨブとヨブを見舞いに来た親友たちの間で議論が延々と始まります。「わざわいは罪の結果である。だからヨブは悪人なのだ。それゆえヨブは悔い改めなければならない。」これがヨブの友人たちの主張です。これに対してヨブは現在の苦しみを受けるような罪を犯した覚えはないと言い自身の潔白を出張し続けます。

 しかし、嵐の中から神が現れて介入し、これらの議論に終止符が打たれます。「おまえは世界の中心にいない。おまえは、私のものなのだ。」 ヨブが最後に出会ったのは、この神様の深い御愛でした。この神の愛がヨブの魂を目覚めさせたのです。ヨブは、自分の思い上がりを神の前に悔い改め、神の促しにより、親友たちのために祈ることにより、すべてが元通りになります。

 いつ、いかなる時も、小さな幸せに気づくこと、戻ることの大切さ。全能の神の大きな祝福の一部であることへの気づき、感謝すること。古き良き思い出に(浸るのではなく)生かされる人生。現在の瞬間瞬間に感謝する人生。試練の時、主にすべてを預けて休息の時をもつ人生。一つ一つの出来事に意味を見出し、時を待つ人生。

 小さな幸せに気づくことが、その背後にある主の大きな祝福につながるという選択が、私たちにプレゼントされているのです。すばらしい神の恵みに感謝。