2005年2月13日

「あなたのポジションは何ですか?」 1コリント12:14〜27

 私が最初の勤務校から中学校へ転任した時、非常に多くのポジションを与えられ、とても多忙な毎日を送りました。とても充実していましたが、自分だけが把握している内容が多く、もし、自分がいなければ他の誰もが仕事の内容がわからないという状況でした。その年、体育科の仕事を手伝い、体育大会で砲丸投げの役員をやることになりましたが、その時は全くの門外漢で、そこには誰も知り合いがおらず、自分の仕事の分担すらわからず、自分の居場所がないという経験をしました。

 自分のポジションがないということも、また大変なことだということを実感したときでもありました。第1コリント12.27には、「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です」と書いてあります。

 教会は一つの体なのです。あまりにも多くのポジションを一人が背負い込むと、周りの人はその人に任せてしまい、その人がいないと何もわからなくなり何もできなくなってしまいます。また、その人もがんばりすぎると、他の人との比較をしてしまって、いつしかイライラしてくることさえあるのです。

 また、一方で何もポジションがないと自分の居場所がなく、ここにいる必要性を感じなくて、空しさを覚えてしまいます。

 様々な思いの人が集まる教会では、その人に一番ふさわしい役割が与えらていると思います。そのポジションが何なのか、それを求めていく必要もありますし、また、それを提供していく必要もあると思います。

 これからの問題として、若者が成長して行くに従って、自分のポジションが替わっていくことは必然のことですが、一方、年配者のポジションが、どのように替わっていったら良いのかということを考えていく必要があると思います。

 私たちは、自分の存在理由を知りたいのです。自分がどうして、なぜ今ここに存在しているのかを知りたいのです。

 聖書はこう言っています。「あなたは高価で尊い」と。私たちには、神様からそれぞれのポジションを与えられているのです。若者も年配者も、それぞれが自分の役割を感謝して担いたいと思います。

 これから青葉キリスト教会が、一人の人に負担を強いるのではなく、一人の人が責任を背負い込むのではなく、各年代の人それぞれが生き生きと自分のポジションを喜んで担っていくとき、神様は必ずこの教会を祝福して下さるに違いありません。そして、それにふさわしい教会堂を私たちに示して下さるのに違いないのであります。

 私たちはキリストの体であり、その部分です