2005年1月30日

「与える神、奪う神」 ヨブ記1:18〜22

 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。このような時にも、ヨブは神を非難することはなく、罪を犯さなかった。」

我が家の墓誌には「神与え、神取り給う。神の聖名は讃むべきかな。」と刻まれています。これは今日の聖書の箇所の文語訳から引用したもので、今年98歳になる母が選んだものです。ヨブは「東の国一番の富豪であった」が、全財産を略奪され、家は大風によって倒され、子供達も死んでしまうと云うまさに惨澹たる状況に襲われたときにこの言葉を叫びます。母はこのヨブに自分の人生を重ねてこの御言葉を選んだと思われます。

 キーワードは「神取り給う」にあり、終戦後の10数年間の極貧とも云える生活状況を振り返っていたと思います。少しは有ったと思われる資産も底をつき、毎日の暮らしに事欠くようになっていきました。家は空襲で焼け借家に住んでいましたが、家賃が払えず、次の借家も1年とは居れませんでした。ホームレス寸前のところで、神社の社務所を貸してもらいました。広さは八畳二間分くらいありましたが、バス、トイレは勿論、台所、水道も有りません。ここでも生活は益々困窮することになります。母が僅かばかり働いても父がギャンブルに遣ってしまうからです。ついに、母は離婚を考え、私だけを連れて実家に向かいますが、クリスチャンであった祖母は「嫁して二夫にまみえず。」そして「父は必ず仕事に戻る事が出来るからそれまで我慢しなさい。」と諭しました。とりあえず別居する事になり、姉夫婦の四畳半一間のアパートに同居させてもらいましたが、残された父と兄の生活の困窮ぶりを聞き、4か月後、高知に帰りました。この時から母は独立して塾を始める事になり、やがて父も手伝う事になって生活もやっと安定の方向に向かい始めました。折からのベビーブームで受験戦争が始まったと云う事が追い風になりました。父はその後76歳になって洗礼を受け、87歳になって天国に帰っていきました。この頃お墓の改修を行い、この聖句を刻んだ墓誌を立て、クリスチャンとしての証をしたのだと思います。

 ところで、ヨブの苦難の中での叫び声に通ずる言葉として、新約聖書のパウロの言葉を思い起こします。ローマの信徒への手紙5章3節から5節「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むと云う事を。希望はわたしたちを欺く事が有りません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれて居るからです。」ここにはヨブ記のような現世利益的なハッピーエンドは有りません。そうではなく、与えられるのは聖霊による神の愛と書かれています。このことは、イエス様が約束して下さったことでもあります。山上の説教として有名なマタイによる福音書5章において、さまざまなこの世の中での苦難や悲しみの中に有る人に対して、必ず幸せになれる事を力強く語ってくださいました。

 母がこの墓誌を作ったのは少なくとも人並みに回復された後のことですが、「主は奪ったが、再び与えてくれた。物質的にも、そして何よりも主に有る平安を与えて頂いた」という感謝の気持ちを表したものと思います。招詞で読んで頂いた詩編37編24節「人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていてくださる。」神からも捨てられた、すべてを奪われた、と思える時にも実は主がその手をとらえていてくださるのです。この旧約の詩人の信仰を私たちも確信もって受け継ぎたいと思います。